坂原秀尚・下関国際高監督の仰天エピソード、名言「文武両道は二流」

創部52年で春夏通じて初の甲子園出場を決めた、下関国際高校。

今回は、弱小の野球部を甲子園へ導いた坂原秀尚(さかはらひでなお)監督のエピソードや名言をご紹介します。

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◆近くにあった高校に監督を志願

坂原秀尚監督は、広島の高校・大学を出て実業団で5年間プレーした「野球バカ」。

高校野球の指導者を志し、教員免許取得のため、山口県下関市にある東亜大学へ編入しました。

約3カ月間、ユニホームを着ない生活に欲求不満がたまりだした頃、たまたま大学から見える高校が気になりだします。

それが、私立下関国際高校との出会いでした。

1カ月考えた末、名前も知らない校長に手紙を出します。

自分にお手伝いできることがあればやってみたい

当時の下関国際高校は、監督が不在で、校長自らノックバットを握って指導している状況。

即、監督就任が決定したのでした。

◆ルーキーズのモデル?

坂原秀尚監督が就任した当時、下関国際高校の野球部は荒れ果てていました。

前年夏は、部員の不祥事で組み合わせ抽選直前に出場停止。

部室の窓は割れ、駐車場に転がるバットを片付けようとする部員はいませんでした。

まさに、漫画・ドラマ「ルーキーズ」そのまんまの世界ですね。

もしかして、ルーキーズの舞台のモデルは下関国際か?

と思いましたが、坂原監督が就任したのは2005年8月。

ルーキーズの連載は1998年から2003年までなので、下関国際のモデルがルーキーズと言った方が良さそうですね。

ちなみに、ルーキーズの舞台「二子玉川学園高」は、作者・森田まさのりさんの母校、栗東(りっとう)市立栗東中がモデルになっているそうです。

◆赴任時、部員は1人に

坂原秀尚監督が下関国際高の監督に就任すると、まずは生活態度を正すことから始めました。

落書きだらけだった部室の壁のペンキを塗りなおし、靴のそろえ方、制服の着こなしと、マナーを厳しく徹底しました。

押しかけ監督になんでそんなことを言われなければいけないんだ!

反発した部員が1人が辞めると皆が続き、11人いた部員は1人になりました。

その後、3人戻ってきて、年明けには4人に回復(?)したそうです。

本当に「ルーキーズ」そのものですね…(゚д゚;)

ちなみに、ルーキーズで1人残った御子柴(みこしば)君は、小出恵介さんが演じていましたね。。。

◆キャプテンが逃亡

仰天エピソードは就任当初だけではありません。

甲子園出場を決めた今年(2017年)は、キャプテンだった生徒が逃げ出したのだとか。

今年に限らず、逃げ出す子は毎年いて、

イベントみたいな感じ

と坂原監督は笑っています(~_~;)

2015年は県大会で準優勝した下関国際。

この年も、キャプテンで4番でエースの子が、途中で逃げ出したのだそうです。

ちなみに、今年逃げ出したキャプテンは坂原監督と話し合い、野球部へ復帰。

甲子園ではエースナンバーを背負ってマウンドに立ちます。

◆携帯電話は入部時に解約

坂原秀尚監督は、部員が入部するときに携帯電話の解約を義務付けています。

3日で慣れますよ。公衆電話か手紙でいいんです

とは、坂原監督談。

たしかに、昔はそれで良かったですが…

◆文武両道は二流

坂原秀尚監督は、「文武両道」に否定的な立場。

『一流』というのは『一つの流れ』であり、『二つの流れ』を追うのは『二流』ということなのだとか。

なるほど、確かに一理ありますね。

坂原監督は問いかけます。

東大を目指す子が2時間の勉強で受かるのか。10時間勉強しても足りないのに

文武両道を言い訳にして、野球も勉強も中途半端になることはいけないと、坂原監督は言いたいのでしょう。

◆対戦相手を批判

坂原秀尚監督は、甲子園初戦で対戦する三本松高校(香川県)を批判しています。

三本松さんの選手、甲子園(球場)でカキ氷食ってましたよ

ちなみに下関国際が口にして良いの水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ。

もちろん買い食いも禁止されています。

◆まとめ

実は、下関国際高校は、甲子園初出場の前にプロ野球選手を輩出しています。

千葉ロッテに6位指名された、宮崎敦次(みやざきあつし)投手です。

宮崎投手は、中学の時は軟式野球部の補欠で、しかも投手ではありませんでした。

高校で野球をやる気はまったくなく、学校の授業を終え、自宅に帰宅すると坂原監督から電話がかかってきます。

当時の野球部は2年生が2人しかおらず、野球部の存続のために坂原監督は必死に勧誘をしていたのです。

その熱心な誘いに心を動かされた宮崎投手は、軽い気持ちでグラウンドへ見学に行きました。

投手をしたこともありませんでしたが、左投げというだけの理由で、とりあえずブルペンで投げさせられます。

いい球じゃないか!

この一言で、宮崎投手の人生は180度変わることとなりました。

人の人生を変える力。

弱小野球部を甲子園に連れて行くには、この力が必要であり、坂原監督にはそれが備わっていたのでしょう。

ルーキーズの川藤幸一先生のように…

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