◆父親:中野茂明さん
中野拓夢さんの父親の名前は、中野茂明さん。[1]
1965年頃の生まれになります。
幼少期、拓夢さんの守備力を磨いたのは、父・茂明さんでした。
ホームランバッターになるのは難しいから、とにかく守備をやらせよう
と考え、当初はバットを与えなかったと言います。
週4回、午後6時まではチームの練習があり、その後は白球が見えなくなるまで、茂明さんのノックを浴びます。
それでも拓夢さんは、自分から帰るとは絶対に言いませんでした。
自宅でのグラブを使わない特訓も、守備力に磨きをかけました。
硬球の形をした軟らかいボールを、リビングからキッチンの冷蔵庫へ向けて“壁当て”。
就寝前は茂明さんと向かい合って球を投げ合い、徐々に電灯を暗くしながら捕球練習をしました。
素手で球をつかむ感覚は、こうして体に染み込んでいったのでした。
中野家は虎党一家であったため、実家から比較的近い仙台や札幌での交流戦には、家族でよく足を運びました。
しかし、聖地・甲子園には絶対に行きませんでした。
茂明さんが、
高校で拓夢に連れてきてもらうのが最初がいいから
と、夢見ていたたためです。
壮大な茂明さんの夢は、拓夢さんが日大山形に進み、実現することになりました。
◆母親:節子さん
中野拓夢さんの母親の名前は、節子さん。[2]
1968年頃の生まれになります。
拓夢さんが生まれた日のことを、母・節子さんは鮮明に覚えているそうです。
なぜならば、
3人兄弟の中で唯一、私に似てるの(笑)
残念ながら、節子さんの写真は公開されていませんが、拓夢さん同様、優しい顔をされているのでしょう。
拓夢さんは、プロ第1号のホームランボールを、母の日のプレゼントとして節子さんへ贈りました。
何にも勝るプレゼントになりましたね。
阪神中野 この間のプロ1号ボールを贈りたい/母の日#中野拓夢 #阪神タイガース #挑超頂 #tigers https://t.co/SrLX1LblDU
— 日刊スポーツ大阪本社 (@ONikkansports) May 10, 2021
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