前人未到のトリプル(3度の)・トリプルスリーを達成した、山田哲人(やまだ・てつと)選手。
今や日本を代表する選手として大活躍中の山田選手ですが、高校時代はどんな選手だったのでしょう。
今回は、山田選手の高校時代の甲子園での活躍、身長と体重、そして女性ファンなら気になる彼女の有無についても調べてみました。
■甲子園出場は?
①2年までは消極的だった
山田哲人選手の高校は、大阪の名門・履正社(りせいしゃ)高等学校です。
山田選手は兵庫県豊岡市の出身なので、履正社高のある大阪府豊中市までは約150㎞。
通うのは難しいですよね。
この問題は、なんと家族で豊中市へ引っ越すことで解決しています。
そんな背景の中、山田選手は1年夏からベンチ入りし、2年夏には二塁手でレギュラーの座を掴みました。
一見順調に見えますが、当時の山田選手は、自分から進んで、他人よりも努力をするタイプではなかったのだとか。
プロ野球選手になれる素質があるのに、なかなか本気になれない山田選手。
履正社の岡田監督は、常々、「もったいない」と感じていました。
しかし、山田選手は2年秋の進路相談で、
プロに行きたいです
と、初めて自分の思いを打ち明けます。
今のままではプロには行けないぞ
と、監督から告げられた山田選手は、この頃から意識を変え、野球に本気で取り組むようになりました。
そんな山田選手に引っ張られるように、チームは3年春に大阪大会で優勝、近畿大会でも準優勝を飾ります。
②3年夏の大坂大会
そして3年の夏―――。
山田哲人選手は、大阪大会1回戦で、いきなり本塁打を放ちます。
チームは順調に勝ち進み、4回戦ではPL学園と対戦。
この年のPL学園には、吉川大幾(よしかわ・だいき)選手、勧野甲輝(かんの・こうき)選手など、のちにプロ入りを果たした選手たちがいました。
各球団のスカウトが見守る中、山田選手は6打数2安打2打点の活躍をみせ、ゲームは8対7で履正社が勝利を収めます。
その後も履正社は、5回戦、準々決勝、準決勝と順調に白星をあげ、決勝では、大体大浪商と対戦。
ここでも履正社は3対0の完封勝ちを収め、13年ぶりの夏の甲子園出場を決めたのでした。
③そして甲子園へ
そして、山田哲人選手は、最初で最後の甲子園へ出場します。
初戦(2回戦)は、中村奨吾(なかむら・しょうご)選手を擁する天理高校戦で、なんとホームスチールを決め、履正社は夏初勝利を果たします。
続く聖光学院高校戦では歳内宏明(さいうち・ひろあき)投手から同点2ランホームランを放ちます。
この時のバッティングからは、速いヘッドスピードで振りぬいて打球を遠くへ運ぶ技術だけでなく、際どい球には手を出さずに冷静に見極める選球眼も身に付けていたことを証明しました。
後に阪神タイガースに入団することになる井上広大(いのうえ・こうた)選手は、
この本塁打を見て履正社に行きたいと思った
と、話しています。
試合は8回裏に聖光学院が3点を挙げ、2対5で敗戦。
しかし、甲子園の舞台で自分の実力を示した山田選手は、その活躍ぶりを評価され、プロへの道を歩き始めることとなります。
■高校時代の身長は?
山田哲人選手の現在の身長は180㎝です。
身長について山田選手は、中学校入学時に156㎝だったのが、3年間で20㎝以上伸びたと話しています。
このことから、高校入学時には今とほぼ変わらない身長であったことが分かります。
高校生で180㎝近くあれば、かなり大きい方ではないかと思います。
高身長に加え、走攻守の揃っていた山田選手。
野球選手としての体格や素質に恵まれていたのですね。
■高校時代の体重は?
高校3年生時の山田哲人選手の体重は73㎏です。
ホームランを打てる選手としては、かなり細身なのではないでしょうか。
プロ野球選手になり、体重は76㎏と身体は一回り大きくなったものの、やはり細身な事に変わりはありません。
体質的なものだと思いますが、
小さい頃から食が細かった
と、山田選手のお母さんが話していました。
その辺りの影響もありそうですね。
プロ野球選手としては小柄な山田選手が、ホームランを打つ姿を見て、特に外国人選手はとても驚くそうです。
体格的には劣っておいても、技術があれば十分にホームランを打つことが出来るということですね。
もちろん、技術を身に付けるために、相当な努力があったことは言うまでもありませんが。
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