プロ野球史上49人目の2000本安打を達成した、読売ジャイアンツの阿部慎之助(あべ・しんのすけ)選手。
今回は、そんな阿部選手の実家の父親、母親、兄弟をご紹介します。
◆実家は千葉・浦安
阿部慎之助選手は、千葉県浦安市の出身。
おしめをつけている1歳半からお父さんに連れられて、草野球を観に行っていました。
テレビゲームの類いには興味を示さず、遊び道具はいつもプラスチックのバットと柔らかいボール。
外で泥んこになって遊ぶことばかりで、服の汚れ具合がひどければひどいほど、家に帰った時に両親は喜んだそうです。
小学校1年生の時から、浦安市野球協会学童部所属の「浦小クラブ」に所属。
その縁で、現在は浦安市野球協会の「阿部慎之助杯争奪少年野球大会」を協賛しています。
浦安市立浦安中学校では、学校の軟式野球部ではなく、硬式野球の「浦安シニア」に入団。
高校は、東東京・安田学園高に入学しましたが、打球が飛びすぎて危険だったため外野後方に防球ネットが増設されます。
それでも足りずに、阿部選手は一人だけ木製バットを使用していたそうです(^_^;)
大学は父親と同じく中央大学へ進学。
入学時に、
2000年のシドニー五輪に出る
という壮大な目標を立て、実際にシドニー五輪代表へ選ばれています。
◆父親の職業は会社経営
阿部慎之助選手の父親の名前は、阿部東司(とうじ)さん。
職業は、浦安にある東建設株式会社(あずまけんせつかぶしきかいしゃ)という会社を経営しています。
年齢は、今年(2017年)で62歳。
父・東司さんは習志野高野球部時代に、阪神の掛布雅之元選手(現2軍監督)とチームメイトとして活躍しました。。
3番掛布、4番阿部(父)の打線で、習志野高校を夏の甲子園に導いています。
中央大学でも中心選手として活躍し、卒業後はプロ入りも嘱望されましたが、怪我のためノンプロの「電電東京」に進みました。
引退してからは、土日のたびに阿部少年を草野球へ連れて行きました。
グローブをさせてボールを転がして遊ばせ、グローブに入ったら
スゲー!
入らなかったら
惜しい!
バットを振らせても当たったら
スゲー!
空振りだったら
『惜しい!』
をひたすら繰り返しました(^_-)
まだ小さな子供なんだもん。野球を好きになってもらうことが一番ですよ
と考え、東司さんは野球を教えることはしなかったそうです。
その代わりに教えたことは、感謝の気持ち。
先祖への感謝、祖父母への感謝、親への感謝、そして裏方さんへの感謝の気持ちも、
絶対に忘れちゃいけない
と、ずっと言ってきかせてきました。
◆母親の名前は?
阿部慎之助選手の母親の名前は、由紀子さん。
母・由紀子さんのエピソードは3つあります。
(1)名付け親
「慎之助」という名前を付けたのは母・由紀子さん。
理由は、お母さんが池畑慎之介(ピーター)さんの大ファンだったためです。
(2)野球に対して
阿部選手が中学校でクラブチームを選んだのは、母・由紀子さんが
「狭い世界ではなく、より広い世界を知ってほしい」
と考えたからです。
(3)「食」について
母・由紀子さんの信念は、
「生きることは食べること。食べることは生きること」
幼少期は「やせっぽこ」だった阿部選手が、頑強な身体に成長できたのは、お母さんのサポートがあったからこそなのです。
◆兄弟はいる?
阿部慎之助選手には、1歳上の姉と3歳下の妹がいます。
◆まとめ
阿部慎之助選手は2000本安打を達成した後は、さらなる記録の上積みに挑戦していきます。
もうやめたいって思うまでやれよ
と話すのは父・東司さん。
距離が一番近くて、就任期間が一番長いコーチは、これからも息子の活躍を見守り続けることでしょう(^_-)
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