横浜高校時代から『松坂大輔2世』と呼ばれ、今では日本を代表するピッチャーとして活躍する涌井秀章(わくい・ひであき)選手。
今回は、涌井選手の実家や家族についてご紹介します。
■実家
涌井秀章選手の実家は千葉県松戸市にあります。
小学生の時にソフトボールを始め、野球は中学生の時に地元の松戸シニアで始めました。
横浜高校時代には甲子園にも出場し、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。
2年目から5年連続で2桁勝利を達成するなど、好調なスタートを見せましたが、その後数年間は不振が続き、2014年に千葉ロッテに移籍します。
この移籍をきっかけに、実家のある千葉県に戻った事で調子を戻した涌井選手。
一部では、実家の母親の存在が大きいのではなどと言われています。
それだけ涌井選手にとって、実家の家族が支えになっているという事ですね(*^^*)
■厳しい父親と優しく見守る母親
涌井秀章選手の父親・孝さんは、野球に関して物凄く厳しい方で、涌井選手が小学校1年生から中学校3年生までの9年間、毎日一緒にトレーニングをしていたそうです。
早朝6時から始まるそのトレーニングは1時間に渡り、さらに夕方からもランニング・キャッチボール・トスバッティング・守備練習とまさに野球漬け。
父親の野球談議は食事中にも及び、あれこれとダメ出しされる事もあったようです。
そんな涌井選手の父親の姿は、野球漫画の「巨人の星」の星一徹ようで、遊びたい盛りの涌井少年には辛い毎日だったのではないでしょうか。
案の定、涌井選手は野球の練習に行きたくないと訴えた事もあったようです。
そんな涌井選手を優しく見守ってたのが、母親・たつ子さんでした。
あまりにも練習を嫌がる涌井選手に、
本当に辞めたいのなら、辞めても良いよ
と手紙を書いたこともあったそうです。
結局、手紙は渡せなかったそうですが、涌井選手が横浜高校に進学すると毎週のように千葉から横浜まで練習や試合を見るために通いました。
涌井選手が高校3年生の夏、甲子園で敗れ高校野球が終わりを告げた日に、母親のもとに1通のメールが届きました。
いつも遠い所へ応援に来てくれてありがとう。野球を続けてきて良かった
涌井選手にとって、母親の存在がとても大きかったことが伝わってきます。
母親にとっても、これほど嬉しい言葉はないのではないでしょうか。
■姉とは大の仲良し
涌井秀章選手には2歳年上の姉・ひとみさんがいます。
幼い頃からお姉ちゃん子だった涌井選手を、姉・ひとみさんも凄く可愛がっていて兄弟仲はとても良いそうです。
具体的なエピソードなどは見つかりませんでしたが、きっと姉・ひとみさんも野球に打ち込む涌井選手を応援し、家族として支えていたことでしょう。
■まとめ
実家の家族との絆が強い涌井秀章選手ですが、2016年にタレントの押切もえさんと結婚し、自身の家庭を持つようになりました。
今季は「18勝以上」とキャリアハイを上回る目標を掲げた涌井選手ですが、ここまで思うような結果が出ていません。
実家の家族だけでなく、新たな家族の為にも頑張って欲しいです(^^)/
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