松坂大輔(まつざか・だいすけ)投手は高校時代、練習嫌いで有名でした。
2年になるまでは“さぼりのマツ”と呼ばれていた程です。
自分のミスでチームが負けてから改心し、練習に力を入れるようになりました。
◆松坂大輔の高校時代
松坂大輔投手は、高校時代は神奈川の名門・横浜高校で3年間を過ごしています。
実は、松坂大輔投手は東京の超名門・帝京高校への進学が内定していました。
しかし、シニアリーグのチームメイトだった・小山良男氏に誘われて、大どんでん返しで横浜高校に入学する事になります。
もし、帝京高校で高校時代を過ごしていたらどうなっていたのか…非常に気になる所ですね。
しかし、歴史にイフはありません。
松坂大輔投手は最終的には横浜高校で高校時代を送ろうと決心し、横浜高校に小山良男氏と共に入学したのです。
◆松坂大輔と甲子園
松坂大輔投手は甲子園に出場し、3年の時に春夏制覇を成し遂げています。
文章にすると簡単ですが、実際にはなかなか出来るものではありません。
先ず、センバツ大会での優勝。
この大会の初戦(2回戦)で松坂投手は、春・夏の甲子園を通じて初めて、150キロを計測しています。
そして夏。
春に優勝していても、夏の甲子園は激戦区・神奈川県予選を勝ち抜かなければいけません。
幾ら、横浜高校がシード校だとしてもこれは大変な事です。
春の選抜大会は関東大会でベスト4までに入れば可能性がありますが、夏の甲子園は、地方予選での負けは1度も許されないのです。
そして掴んだ夏の甲子園への切符。
しかし、甲子園では次々と魔物たちが襲いかかります。
1回戦・柳ヶ浦、2回戦・鹿児島実業、3回戦・星稜…
そして準々決勝ではPL学園と激突し、球史に残る延長17回を戦って9-7で振り切りました。
◆ノーヒットノーラン
1998年夏の甲子園で、松坂大輔投手は偉業を成し遂げます。
決勝戦の相手は京都成章高校。
ここで快刀乱麻のピッチングを披露し、ノーヒットノーランを達成したのです。
決勝戦でのノーヒットノーランは、59年振り2人目の大偉業。
かなり疲れが残っている中での決勝戦でのノーヒットノーランは、松坂大輔投手の評価を更にあげました。
京都成章高校打線は、全く歯が立たず完敗でした。
スカウト陣も脱帽の、ノーヒットノーランでした。
◆ドラフト会議
甲子園ではまさに超高校級の活躍をした、松坂大輔投手。
元々プロのスカウトから即戦力の評価を受けており、ドラフト会議では3球団の競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得しました。
◆まとめ
平成の怪物・松坂大輔投手の原点は、高校時代にありました。
甲子園で初の150キロ台を記録し、決勝でノーヒットノーランを達成し、甲子園で春夏制覇を成し遂げています。
一方、寮では仲間とゲームに興じ、練習休日はカラオケやボウリングに繰り出す一面もあったそうです。
怪物になるためには“ハンドルの遊び”の部分も必要なのでしょうね。
◇編集後記
松坂大輔投手の愛用の時計は、『ガガミラノ』のダイヤモンドモデルだそうです。
このモデルですが、結構なお値段ですね。
なお、実際の松坂投手のモノは、文字盤までオールブラックなのだそうです(^_-)
《松坂投手に関する記事》
松坂大輔の【高校時代】甲子園・春夏制覇と決勝ノーヒットノーラン
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