PL学園高校時代、清原和博氏とともに数々の伝説を残した、桑田真澄(くわたますみ)氏。
桑田真澄氏の高校時代を振り返ってみたいと思います。
■桑田真澄氏・高校時代の逸話とは?
高校2年生、夏の甲子園、準決勝。
金足農業高校(秋田)に7回に1点勝ち越され、8回の裏、清原和博氏がフォアボールで塁に出て、2アウト1塁。
次にバッターボックスに立ったのは、桑田真澄氏。
そして桑田氏はなんと逆転の2ランホームランを打ったのです!\(^o^)/
この大会は、残念ながら決勝戦で取手第二高校(茨城)に延長戦の末に負け、この春のセンバツに続き、準優勝という結果になりました。(>_<)
取手第二高校は、茨城県勢初の全国制覇となりました。
投手でも活躍し、打者でも活躍し、まさに二刀流としても逸話を残した桑田真澄氏!
高校野球史上に残る名選手だったことに間違いありません。(^_-)-☆
■高校時代の評価はどうだったの?
これだけスゴイ選手である桑田真澄氏ですが、PL学園高校入学当初の評価は、高くなかったそうです。
守備は外野。
練習時間中、球拾いをさせられていた時期もあったのだとか。
桑田真澄氏の才能に気づいたのは、臨時投手コーチである清水和夫氏だったそうです。
桑田真澄氏の、外野からの返球を見てピッチャーに戻したのだとか。
下半身の強化など、清水コーチから徹底した指導を受け、1年生の夏にはベンチ入りを果たしました。
桑田氏の才能を見つけてくれてありがとう!\(^o^)/
もし見つけてくれなかったら、桑田真澄氏、KKコンビを甲子園でみることができなかったかと思うと、ゾッとします。(>_<)
KKコンビ伝説、幕開けにバンザイ!
■高校時代は勉強家だった?
桑田真澄氏は努力家で有名です。
高校時代も熱心に勉学に励んでいたそうです。
部活で忙しいのにもかかわらず、授業中熱心に受けていたとのこと。
一方、清原和博氏はというと、
どうせ野球選手になるのだから勉強は必要ないだろう!
と開き直って授業中は睡眠に費やしていたそうです。(^▽^;)
なんだか、お2人ともイメージ通り~!といったところでしょうか。
■まとめ
桑田真澄氏は、高校1年生当初の評価が低かったものの、臨時投手コーチにより才能を開花させ、なんと甲子園を5回経験しています。
投げてよし、打ってよしだった桑田氏は、フィールディングもピカイチだったと評価されています。
また勉強家だったことから、頭脳派のピッチャーとしてプロ入り後も活躍されました。
評論家や野球解説者として現在も野球界でご活躍されています。
子どもたちに、野球を教えてくれたりもしているようですね。(^_-)-☆
◇編集後記
2002年、日本シリーズでライオンズを下して日本一となったジャイアンツ。
原監督の発案で、フランク・ミュラーに特注してチャンピオンウォッチを製作しました。
フランク・ミュラー FRANCK MULLER カサブランカ サハラ 6850CASA SAHARA 【新品】 時計 メンズ
実際の桑田さんの時計には、盤面に
“GIANTS 2002 CHAMPION”
の文字と、シリアルナンバー“18”が刻み込まれています(^_-)
コメント