FAで読売ジャイアンツへ移った、「どすこい」こと山口俊(やまぐちしゅん)投手。
今回は、そんな山口投手の実家と家族をご紹介します。
◆実家は大分県中津市
山口俊投手の実家は、大分県中津市。
小学校3年生の時、友達に誘われて地元の軟式野球チーム『太陽クラブ』で野球を始めました。
中津市立豊陽中学校では、3年夏に県大会で優勝。
高校は大分の強豪・柳ケ浦高に進みました。
柳ヶ浦高では1年生ながら背番号「11」で甲子園出場。
常総学院戦でリリーフ登板して、2回を無失点に抑え込む好投を見せましたが、チームは初戦敗退となりました。
2年秋の明治神宮大会では、並み居る全国の強豪校を蹴散らし、初優勝に輝きますが、3年のセンバツ甲子園では初戦敗退。
夏は県大会準決勝の別府青山戦で力尽きているので、実力に比べると甲子園ではあまり活躍できていません。
2016年12月、山口投手は中津市役所を訪れ、横浜から巨人への移籍することを報告しています。
また、地元への恩返しとして「ふるさと納税」をしており、
少年野球の発展に役立ててほしい
と希望しています。
◆父親は幕内力士の谷嵐
山口俊投手の父親は、かつて幕内で46勝をあげた、元前頭4枚目の谷嵐。
本名、山口久さんです。
父・久さんの影響で、山口投手も幼少期は「わんぱく相撲」に出場し、市内大会で優勝したこともあります。
高校2年の時、山口投手は自身の制球の乱れからサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逃しました。
サヨナラ負けから三日間は何も考えられなかった山口投手に、
これがお前の実力。やらんといけんことが分かったか
と問いかけ、目を覚ましてくれたのが、父・久さんでした。
それからは苦手だったランニングなども精力的にこなし、一気に力をつけた山口投手は、秋の全国大会を制覇しています。
父・久さんは、地元で相撲茶屋を経営していましたが、2010年に肝臓ガンのため亡くなっています。
享年58歳の若さでした。
◆母親の名前は?
山口俊投手の母親の名前は、啓子さん。
啓子さんは現在も中津の実家で暮らしており、久さんの分まで山口投手を応援してくれています。
2017年6月15日、山口投手は巨人に移籍後、初勝利を挙げました。
スタンドには、中津から駆けつけた啓子さんの姿もありました。
すごく長かったです。勝ててホッとしています…
ヒーローインタビューで語る山口投手は、ここで号泣。
FAで迷惑をかけたので…
辛かった思いをブチまける息子を見守る啓子さんの目にも、涙が溢れていました。
◆兄弟は?
父・谷嵐のプロフィールをみると、山口俊投手は「次男」と紹介されています。
と言うことは、山口投手にはお兄さんがいると思われますが、詳細は分かりません。
◆まとめ
2017年7月11日は、山口俊投手の30回目の誕生日でした。
しかし、この日に友人と飲食していた山口投手は、泥酔して病院で暴れ、警備員に負傷させたとされています。
事情は分かりませんが、本当であれば、実家のお母さんと天国のお父さんは悲しんでいるでしょう。
責任をキチンと取り、またマウンドで元気な姿が見れる日を、楽しみにしています。
コメント