2021年より、侍ジャパンの監督をつとめる、栗山英樹さん。
中学時代はバレーボール部でした!
今回は、そんな栗山監督を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家・生い立ち
栗山英樹さんの実家は、東京都小平市の富士見町住宅。
小学校は地元の、小平市立小平第十三小学校へ通いました。[1]
そして小学校時代に、地元の富士見スネークスに入団し、野球を始めています。
中学校は、小平市立小平第ニ中学校へ進学。[2]
中学校では一度野球を離れ、バレーボール部のセッターとして活躍しました。
ちなみに、同じ中学の6学年下には、バレー日本代表として活躍した大林素子(おおばやし・もとこ)さんが在籍。
(大林素子さん↓)
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バレーボールが盛んな中学校だったのでしょう。
後に、外野守備で魅せたダイビングキャッチは、バレーで会得したフライングレシーブが原点となっています。
一方、中学3年時には、地元のポニーリーグチーム:小平ポニーズに所属し、投手として日米大会に出場。
伸びやかな成長を続ける中学生のための硬式野球リーグ。
この大会でMVPを獲得したことから、小平市内の創価高校野球部の熱心なスカウトにあい、心を動かされます。
そうして進学した創価高等学校では、1年時からベンチ入りし、3年時には主将兼エースとしてチームを牽引しました。
3年春の全東京大会では、早稲田実業に0-3で敗退。
優勝候補として期待された3年夏の西東京大会でも、4回戦で敗退し、甲子園への夢は断たれました。
その後は教員を目指して、東京学芸大学教育学部に合格。
東京学芸大では硬式野球部に入部し、投手、内野手として活躍します。
東京新大学野球連盟での通算成績は、投手として25勝8敗、打者として打率.389(リーグ史上3位)という並外れた成績を残しました。
在学中に小・中・高の教員免許を取得し、卒業後は教員になるつもりだった栗山さん。
しかし、4年時には野球への夢が再燃して、社会人野球の朝日生命に内定します。
その後、プロチームの入団テストを受け、その結果ヤクルトスワローズへのドラフト外入団が決まったのでした。
◆自宅も「栗山」
栗山英樹さんの出身は東京都小平市ですが、現在は北海道夕張郡栗山町に自宅を構えています。
元々は、スポーツジャーナリスト時代の2002年に、
苗字が同じ
という理由から、栗山町に少年野球場「栗の樹ファーム」を作ったことがきっかけ。
2011年に日ハムの監督になってからは栗山町に住み、車で1時間ほどの距離を、札幌ドームまで通っていました。
2016年に日本一に輝いた時には、栗山町で一人 軽トラックに乗り、優勝パレードを行っています。
栗山監督が日本一パレード 自宅のある北海道栗山町 – 読んで見フォト – 産経フォト https://t.co/5juslEaJgD
— カゲロウ@BaseBall (@Kagerou_BB) March 19, 2023
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