栗山英樹の【家族】~福島弓子と婚約するも独身を貫く…実家の両親と兄弟について

2021年より、侍ジャパンの監督をつとめる、栗山英樹さん。

中学時代はバレーボール部でした!

今回は、そんな栗山監督を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:栗山英樹(くりやま・ひでき)
生年月日:1961年〈昭和36年〉4月26日
身長体重:174cm/72kg
血液型 :A型
家族構成:
①実 家…父親、母親、兄
②独立後…独身(未婚)
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◆実家・生い立ち

栗山英樹さんの実家は、東京都小平市の富士見町住宅。

小学校は地元の、小平市立小平第十三小学校へ通いました。[1]

そして小学校時代に、地元の富士見スネークスに入団し、野球を始めています。

中学校は、小平市立小平第ニ中学校へ進学。[2]

中学校では一度野球を離れ、バレーボール部のセッターとして活躍しました。

ちなみに、同じ中学の6学年下には、バレー日本代表として活躍した大林素子(おおばやし・もとこ)さんが在籍。

(大林素子さん↓)

 

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バレーボールが盛んな中学校だったのでしょう。

後に、外野守備で魅せたダイビングキャッチは、バレーで会得したフライングレシーブが原点となっています。

一方、中学3年時には、地元のポニーリーグチーム:小平ポニーズに所属し、投手として日米大会に出場。

ポニーリーグ
伸びやかな成長を続ける中学生のための硬式野球リーグ。

この大会でMVPを獲得したことから、小平市内の創価高校野球部の熱心なスカウトにあい、心を動かされます。

そうして進学した創価高等学校では、1年時からベンチ入りし、3年時には主将兼エースとしてチームを牽引しました。

3年春の全東京大会では、早稲田実業に0-3で敗退。

優勝候補として期待された3年夏の西東京大会でも、4回戦で敗退し、甲子園への夢は断たれました。

その後は教員を目指して、東京学芸大学教育学部に合格。

東京学芸大では硬式野球部に入部し、投手、内野手として活躍します。

東京新大学野球連盟での通算成績は、投手として25勝8敗、打者として打率.389(リーグ史上3位)という並外れた成績を残しました。

在学中に小・中・高の教員免許を取得し、卒業後は教員になるつもりだった栗山さん。

しかし、4年時には野球への夢が再燃して、社会人野球の朝日生命に内定します。

その後、プロチームの入団テストを受け、その結果ヤクルトスワローズへのドラフト外入団が決まったのでした。

◆自宅も「栗山」

栗山英樹さんの出身は東京都小平市ですが、現在は北海道夕張郡栗山町に自宅を構えています。

元々は、スポーツジャーナリスト時代の2002年に、

苗字が同じ

という理由から、栗山町に少年野球場「栗の樹ファーム」を作ったことがきっかけ。

2011年に日ハムの監督になってからは栗山町に住み、車で1時間ほどの距離を、札幌ドームまで通っていました。

2016年に日本一に輝いた時には、栗山町で一人 軽トラックに乗り、優勝パレードを行っています。

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