福岡大学附属大濠(おおほり)高校の右腕エース、三浦銀二(みうらぎんじ)投手。
今回は、「福岡のドクターゼロ」の異名を持つ三浦投手の、小学校・中学校・高校時代をそれぞれご紹介します。
■小学校時は筑紫丘ファイターズ!
三浦銀二投手は、福岡市南区の出身。
福岡市立筑紫丘(ちくしがおか)小学校3年生の時から野球を始めました。
所属したチームは、福岡市南区を拠点とする軟式野球チーム「筑紫丘ファイターズ」。
1976年10月に結成されたチームで、福岡少年野球サンデーリーグ連盟に加入しており、数々の好成績をあげています。
■中学校時代は部活の軟式野球部に所属
三浦銀二投手は、地元の筑紫丘(ちくしがおか)中学校に進むと、部活の軟式野球部に入部します。
中学3年生の時には福岡選抜に選ばれており、全国KB野球秋季大会でBest4に輝きました。
KB野球とは、「KWBボール」を使った野球のこと。
「KWBボール」は、素材は軟式と同じゴムでできていますが、重さ・大きさはほぼ硬球と同じです。
素材がゴムであるため、今まで軟球を握っていた選手も違和感なく馴染むことができ、硬球にスムーズに移行することができます。
■高校は福岡大大濠へ
そして高校は、福岡大大濠に進学した三浦銀二投手。
福岡大大濠を選んだ理由は、中学の時から福岡で有名だった浜地真澄投手に憧れたためでした。
浜地投手は高校卒業後、ドラフト4位で阪神タイガーズへ入団した選手。
三浦投手は1年秋からベンチ入りし、2年秋から背番号「1」を浜地投手から引き継ぎます。
三浦投手にとって、浜地投手は最高の教材でした。
三浦投手は、浜地投手の投球練習が始まると,直球の回転やスライダーの角度を学ぼうと、フォームや球筋をつぶさに観察していました。
浜地投手が練習を終えると、たった今まで浜地が投げていたマウンドに立ち、こっそりと歩幅を確認したこともあります。
ピンチでも後ろを見たら落ち着く
など、浜地投手から教わったことは、今でも三浦投手の投球術に活かされているそうです。
■まとめ
三浦銀二投手にとって、憧れの先輩である浜地真澄投手は、高校時代、甲子園の土を踏むことはありませんでした。
一方、26年ぶりに母校を甲子園出場に導いた三浦投手は、浜地投手より先に甲子園のマウンドに立つこととなりました。
勝ちにつながる投球をして、浜地さんに勝利を報告したい
と、意気込んでいた三浦投手。
愛弟子でありライバルでもある後輩は、憧れの先輩に勝利の報告をできたでしょうか(^_-)
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