女性ファンから絶大な人気を集める、読売ジャイアンツの坂本勇人(さかもとはやと)選手。
坂本選手の家族を中心に、幼き時代に迫ってみたいと思います。
■兄弟の名前は?
坂本勇人選手の兄弟は、6つ上の兄(勇太さん)3つ下の弟(勇斗さん)がいます。
小さいときから3人はとても仲良しで、3人ともイケメンです。
イケメン3兄弟
と呼ばれていました…かもしれません(*^_^*)
名前に「勇」の字が3人とも入っています。
いさましく育ってほしいという思いが込められているのです。
坂本選手は、まさに名前通りに育っていますね。
■実家での様子は?幼少期時代はどんな子供だった?
実家は、兵庫県の伊丹市にあり、中学卒業まで過ごしていました。
中学時代は、ヤンキースの田中将大選手と同じチームに所属していて、ピッチャーが坂本選手、キャッチャーが田中選手だったみたいです。
これは、凄い!ことですよね。田中選手がキャッチャーだったのですね!
また、坂本選手は、とてもヤンチャだったらしいです。
今からは想像がつきませんが・・・
■命日の母への想い…
坂本勇人選手がプロ1年目の時に、母・輝美さんは、小腸がんのため他界しました。
命日の日、打席に向かう登場曲をG2の
LETTER~おかんに贈る音の手紙~
に変えています。
母に対する想いは、我々では想像がつかないほどあったのでしょう。
坂本選手は幼少時代、母・輝美さんから色々と奇抜なアドバイスを受けていました。
左利きにもかかわらず「右投げ」なのは、野球を始めた時、兄のグラブ(右利き用)をお母さんに与えられたためです。
それでもバッティングは左で打っていましたが、打てない日が続くと
右で打ってみたら?
とお母さんが言ったそうです。
普通では、左効きの選手が左で打てないものが右で打てる訳ないと考えますよね。
それは、先入観!で、坂本勇人選手は右に変えたことで大成したのです。
母・輝美さんのあの一言があったからこそ、現在の坂本選手があるのです。
■まとめ
坂本勇人選手は、中学卒業後に地元を離れ、青森の光星学院高校に野球留学をしています。
親元を離れ、慣れない環境の中で1年の秋にはショートのレギュラーを獲得。
甲子園にも出場をしており、1回戦敗退しましたが、3安打と活躍しました。
高校生活最後の3年の夏は、県予選の決勝で敗退しました。
そのときの負けが相当悔しかったようで、この時の悔しさが、野球人生を支える原動力にもなっているそうです。
親元を離れた高校3年間で、人間的にかなり成長したのですね。
今では天国から、お母さんが見守ってくれています☆.。.:*・゜
◆あとがき
野球選手にしては(?)オシャレで定評がある坂本勇人選手。
所有する時計の一つは「ウブロ」だそうです。
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私たちには手が出ないお値段ですが、これでも安い部類に入るのだそうです(^_^;)
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