「神ってる」の言葉で有名な、広島東洋カープの鈴木誠也(すずきせいや)選手。
今回は、鈴木誠也選手のプロ野球選手になる前の、壮絶な暮らしぶりについて迫りたいと思います。
■実家の喫茶店は有名?
鈴木誠也選手の実家は、東京の下町・荒川区町屋で喫茶店をしています。
父・母・妹の4人家族です。
数年前に、あるTV番組で実家の喫茶店が紹介されたことがあります。
「純喫茶」風の情緒あふれる感じのお店ですね。
父親と母親の2人で切り盛りをして、たまに妹さんがお手伝いをする。そんな感じなのでしょうか。
■父親のスパルタ教育、母親には甘えていた?
鈴木誠也選手のお父さんの名前は、宗人さん。
父・宗人さんは、鬼のようなスパルタ教育で、鈴木少年をプロ野球選手に育てあげました。
勉強するくらいなら走って来い!
自宅にネットをはり、毎日300球、納得がいくまでバッティング練習。
お父さんの指導で、厳しい練習の毎日だったのです。
その反面、お母さんには甘えていたみたいですね。
買い物に行けば
あのお菓子がほしい!
と店の前で大の字になって手足をバタバタさせたりしていたそうです。
とてもやんちゃな子供で手がかかったそうです。
父親は厳しく、母親はやさしい
昭和の良き家族構成をイメージさせられますね。
■妹と相談して母親へ贈ったものとは?
鈴木誠也選手は、妹・彩絵さんとはとても仲が良いです。
彩絵さんと相談をして、母の誕生日にハンドバックをプレゼントしたそうです。
また、東日本大震災が起きたとき、鈴木誠也選手は高校の寮にいました。
母と妹が心配で父に何度も電話をしたそうです。
お母さんと彩絵を頼むよ、守ってあげてよ
家族思いの、優しい長男の姿が、鈴木誠也選手にはあるのですね。
■まとめ
鈴木誠也選手は、高校の3年間、野球部の寮で過ごしました。
この3年間の寮生活で「人間として成長した」と、父・宗人さんは言っています。
親元を離れての生活には、苦労も多いです。
高校の野球部の監督・市原勝人さんは、父・宗人さんと小学校からの知り合いで、歳も同じで、実家も近所だったのです。
父・宗人さんは、息子をプロ野球選手にするために、幼いときはスパルタ教育をしてきました。
でも、プロ野球選手の前に、社会人として常識がある人になってもらいたいと思っていました。
信用できる市原さんに息子を託したのですね。
高校受験の時は、勉強を一生懸命するように、父・宗人さんは言っていたそうです。
厳しくも温かい家族に見守られて、鈴木誠也選手の活躍は続いていくことでしょう!
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