シーズン最多安打記録を持つ、埼玉西武ライオンズの秋山翔吾(あきやましょうご)選手。
プロ野球選手になるまでの軌跡に迫ってみたいと思います。
■父親との約束
秋山翔吾選手は、1988年4月16日に神奈川県・横須賀市に生まれました。
なんと!2歳から野球を始めたそうですね。
父・肇さんから、プロ野球選手になるための教育を受けていたのです。
左打ちに変えられ、野球と同時に陸上もさせられています。
左打ちで走る技術と足の速さがあれば、ヒットになる確率が上がります。
イチロー選手のような感じを目指していたのですね。
秋山翔吾選手が12歳の時、父・肇さんは、病気のため40歳で他界しました。
入退院を繰り返すようになっても練習には付き合っていました。
秋山選手はお父さんが亡くなった時に
プロ野球選手になる…!
と約束をします。
現在の秋山翔吾選手のバッティングホームやスイング軌道などは、亡き父から教わったスタイルです。
父との約束を果たし、侍ジャパンにも選出され、シーズン216安打の記録も樹立しました。
一流選手になった息子のことを天国のお父さんも喜んでいることでしょう。
■心配症の母と兄弟で過ごした実家での生活
秋山翔吾選手のお母さんは、心配性な方。
秋山選手は青森・八戸の大学に進学をしましたが、野球の試合があるときは、八戸まで見に来てくれました。
また、神宮で試合があるときは、監督、コーチにお土産を持ってきたそうです。
息子の様子が心配で仕方ないのですね。
秋山選手の兄弟は、妹と弟がいます。
お母さんは、決して裕福とはいえない中で、3人の子供を育てました。
父の願いであったプロ野球選手に秋山選手を育てたのです。
体が大きくなるように食事に気を使いながら育てたそうです。
埼玉西武ライオンズにドラフト3位で指名された瞬間、お母さんと妹さんは抱き合って喜んでいました…(T_T)
■まとめ
秋山翔吾選手は、ひとり親家庭の支援活動を積極的に行っています。
努力し続ければ夢は叶う…
その想いを伝えたいからです。
実際に夢を叶えた秋山選手の言葉には重み!がありますね。
高校では甲子園出場経験はなく、大学でも目立つ存在ではなかった。
しかし、潜在能力を見抜いて獲得した西武のスカウトは素晴らしいですね。
幼きときに父を亡くし、父との約束を果たすために努力を続け、母や妹、弟を思いやり、そんな環境で過ごした秋山翔吾選手には「人間」ができています。
今後、ますます秋山翔吾選手の活躍に期待したいですね。
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