広島東洋カープの薮田和樹(やぶたかずき)投手。
今回は、薮田投手を苦労して育ててくれたお母さんを中心に、家族のエピソードをご紹介します。
■実家は広島
薮田和樹投手の実家は、広島市東区。
広島市立矢賀小学校の2年生のときに野球を始め、広島市立二葉中学校時代には、シニアチームで活躍しました。
高校は実家を離れ、岡山理科大学附属高校に進学します。
1年生からベンチ入りし、1学年上の九里亜蓮投手に続く有望株と目されましたが、故障に泣かされ、目立った成績は残せませんでした。
■実父は離婚
薮田和樹投手には、実父の記憶がありません。
薮田投手が1歳のとき、両親が離婚したためです。
そのため、薮田投手のお母さんは、女手一つで苦労しながら、子供たちを育ててくれました。
■母親の名前・年齢・職業は?
薮田和樹投手のお母さんの名前は、昌美さん。
年齢は、今年(2017年)で50歳になります。
母・昌美さんは、昼は保険の外交員、夜は弁当屋で働き、家計を支えました。
仕事で忙しかったはずですが、野球の試合にはいつも応援に来てくれたお母さん。
お金がかかる遠征にも無理して行かせてくれました。
しかし、家計はすでに借金で火の車。
お母さんが夜遅く一人で泣く姿を、薮田投手は2回見たことがあるそうです…。
■母は病気で目がかすみ髪が抜け落ちる
岡山の名門私立に進み、寮生活が始まった薮田投手。
母・昌美さんは、より高い収入を求め、タクシーの運転手をはじめました。
朝6時から翌朝6時まで、24時間勤務のハードワーク。
それでも月の収入は16万円で、うち8万円は寮費に消えていったそうです。
そんな生活は限界を超え、タクシーで事故を起こしました。
心労、借金、事故…お母さんは心身を病み、髪の毛がすべて抜け落ち、視力が低下してしまいます。
それでも昌美さんは、薮田投手には病気を隠し、かつらをかぶって応援に出かけました。
■兄は警察官に
薮田和樹投手にはお兄さんがいて、名前は佑樹さん。
お母さんの窮状を見かねたお兄さんは、薮田投手に実家の経済状態を話し、大学進学をあきらめるよう告げました。
薮田投手はショックを受け、大学をあきらめ、野球も辞める決心をします。
しかし、高校時代の恩師は、こう言って薮田投手を諭しました。
野球を辞めることはお母さんを裏切ることになる
結局、薮田投手は、奨学金を得て亜細亜大学へ進みます。
そんなとき、お母さんが運転するタクシーに、たまたま広島カープの松田オーナーが客として乗りました。
カープ女子でもあった昌美さんは、すぐに松田オーナーに気づきます。
息子が東京の亜細亜大学でピッチャーをやっているんです。速いボールを投げます。ぜひお願いします!
お母さんの必死の売り込みに対し、これもなにかの縁だと感じたオーナーは、
一度、亜細亜へ行って見てこい
とスカウトに指示。
結果的にこの一言がプロへの道を開くことになったのです。
ちなみに兄・佑樹さんは、地元広島で警察官になっているそうです。
■再婚の父親
薮田和樹投手のお母さんは、現在は再婚して、幸せをつかんでいます。
新しいお父さんの名前は、勝実さん。
広島入団時の仮契約には、昌美さんと共に勝実さんも出席。
薮田投手が初勝利のウィニングボールを母親に贈ると、
じゃあ僕には、200勝のボールでお願いします
とコメントするなど、楽しい親子関係を築いています。
■まとめ
心身の病で視力が低下したお母さんでしたが、現在は手術により回復しているそうです。
新しい父、警察官の兄、そして離婚・目の病気・借金を乗り越えた最愛の母のため、薮田和樹投手は勝ち続けなければなりません!
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