佐々木朗希の【家族】~父親を震災で失い、母と兄弟と歩む「白球の道」

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◆父親:佐々木功太さん

佐々木朗希投手の父親の名前は、佐々木功太さん。[1]

いつもニコニコと朗らかで、子供たちを愛し、愛された功太さんでしたが、37歳の若さで亡くなっています。

父・功太さんを襲ったのは、2011年の東日本大震災による津波でした。

津波で行方不明になった功太さんは、5日後の3月16日に変わり果てた姿で発見されます。

見つかりました

という電話に、当時小学校3年生だった佐々木投手は、

見つかった!?

と目を見開きました。

しかし、言葉の意味を知った朗希少年は、ショックでしばらく家族とも会話ができなかったそうです。

身長181cmだったという父・功太さん。

朗希さんは、いつの間にか父を超えた190cmの背筋を伸ばし、父たちの写真に

行ってきます!

と声をかけ、元気に学校へ向かっています。

◆母親:佐々木陽子さん

佐々木朗希投手の母親の名前は、佐々木陽子さん。[2]

1973年頃の生まれになります。

190cmと高身長の朗希さんですが、これには母・陽子さんの教育方針が関係しています。

スポーツでも何をするにも有利になるかと思って

との思いから、子供たちには午後9時就寝をうながしたのです。

特に朗希さんは、母の想像以上に成長ホルモンを活性化させたみたですね(^^)v

父・功太さんを失い、女手一つで3人の息子を育てた苦労は、想像を絶するものがあったことでしょう。

それでも陽子さんは懸命に働きながら、子供たちが野球を頑張る姿に励まされました。

息子の仲間たちが、父親にビデオカメラを回してもらう姿に寂しさを感じたこともあります。

それでも陽子さんは、野球の応援に駆けつけました。

それは、父・功太さんの分まで、子供たちの姿を脳裏に焼き付けるためだったのでした。

甲子園の夢が破れた佐々木投手にかける言葉は、

髪、伸ばして…かな

と笑う陽子さん。

朗らかで冗談が好きだった父・功太さんも、きっと同じように声をかけることでしょう。

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