高嶋奨哉の『家族』〜祖父は智弁和歌山の名誉監督・高嶋仁…父親も甲子園へ

智弁学園和歌山高等学校の野球部に所属する、高嶋奨哉選手。

好きな言葉は「捲土重来(けんどちょうらい)」です!

今回は、そんな奨哉さんを取り巻く『家族』の物語です。

【プロフィール】
名前:高嶋奨哉(たかしま・しょうや)
生年月日:2003年〈平成15年〉12月19日
身長/体重:173cm/76kg
出身地:和歌山県紀の川市
投打:右投げ右打ち
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◆生い立ち

高嶋奨哉選手は、和歌山県紀の川市の出身。

小学校は奈良県にある、香芝(かしば)市立二上(にじょう)小学校に通いました。[1]

小学校2年生から二上スポーツ少年団で野球を始め、小学校4年生の時に和歌山の小学校に転校。

根来ファイターズに所属し、6年生の時には阪神タイガースジュニアでもプレーしました。

中学校は岩出(いわで)市立岩出第二中学校へ進学。[1]

チームは粉河シニアに所属し、主に三塁手として活躍しました。

中学3年の春には、全国大会出場を果たしています。

高校は、

自分も甲子園に行きたい!

と、智弁学園和歌山高等学校へ進学。[1]

1年の秋からベンチ入りし、2年夏の交流試合で、初めて甲子園の土を踏みました。

◆家族構成

高嶋奨哉さんの実家の家族構成は、父親、母親、姉、奨哉さんの4人家族です。

◆祖父は智弁和歌山の名誉監督・高嶋仁

高嶋奨哉さんの祖父の名前は、高嶋仁(たかしま・ひとし)さん。[2]

1946年〈昭和21年〉5月30日の生まれになります。

祖父・仁さんは、長崎県の五島列島にある福江島の出身。

長崎市にある海星(かいせい)高等学校へ進学しますが、入部した野球部員は120人ほどいました。

人数減らしのため、連日続く壮絶なシゴキ。

仁さんは、

負けるか!クソったれ!

と耐え、2年時にはレギュラーの座をつかみました。

6番・レフトで戦った1963年の夏、長崎県を制し、甲子園に出場。

この時の開会式の入場行進に感動し、

また絶対に帰ってくる。将来も指導者になって帰ってくる

と心に決めました。

ちなみにこの夏は、埼玉県立大宮高等学校に敗れ、初戦敗退。

副キャプテンとして連続出場を果たした1964年夏は、1番・センターで甲子園初安打を放ちます。

しかし、山口県代表の早鞆(はやとも)高等学校に2対10と敗れ、勝利を味わうことはできませんでした。

高校卒業後は、

中学の野球部の監督の母校と同じ所へ

と決めていた、日本体育大学体育学部体育学科へ進学。

大学卒業後は、智弁学園高等学校のコーチとなり、1972年に監督へ就任しました。

1980年に智弁和歌山高等学校の監督へ転任。

そして就任から12年目の1991年夏、「親子鷹」として甲子園の土を踏むことになります。

◆父親も智弁和歌山で甲子園へ

高嶋奨哉さんの父親の名前は、高嶋茂雄さん。[3]

1975年頃の生まれになります。

父・茂雄さんの名前は、祖母(奨哉さんの曽祖母)の名前・茂子さんと、スーパースター・長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんからとって命名されました。

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父・茂雄さんは、子供の頃からチームに入って野球をやりたかったのですが、

ほかのスポーツも経験しておいたほうがいい

という祖父・仁さんの意向があり、本格的に野球を始めたのは中学からでした。

しかし、そこから必死で練習に励み、高校は覚悟を決めて父が監督を務める智弁和歌山高等学校へ進学。

家で温厚な仁さんは、グラウンドでは鬼のようにノックを打ちまくり、強烈な打球に必死に食らいつきました。

そして”鬼監督“との戦いの日々はむくわれ、茂雄さんは高校2年の夏に甲子園出場を果たします。

甲子園では初戦に先発出場しましたが、福島県代表の学法石川に敗退。

高校3年の夏も甲子園の土を踏みましたが、千葉県代表の拓大紅陵に敗れています。

卒業後は日体大を経て、スポーツメーカーに勤務したのち、教員となりました。

智弁学園が経営する奈良カレッジ中学部で野球部の監督に就き、平穏な日常を過ごします。

しかしこの時、父・茂雄さんの中に、ある思いが去来しました。

野球に熱中し始めた奨哉と、一緒の時間を過ごしたい

そこで、和歌山県へ転居して、土日の休日が増える支援学校への勤務となりました。

奨哉さんは父の思いを受け止め、智弁和歌山の野球部へと駒を進めたのでした。

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◆まとめ

高嶋奨哉選手の祖父・仁さんは、甲子園最多勝利監督という記録を持っています。

父・茂雄さんと共に、2度の甲子園出場経験がありますが、2人とも甲子園での勝利はありませんでした。

昭和、平成、令和と時は流れ、思いを受け継いだ奨哉さん。

2021年夏に高知商業を下し、高嶋家の甲子園初勝利を果たしています。

これからも家族の応援を胸に、奨哉さんの挑戦は続いていきます😉

◇脚注

  1. 日刊スポーツ 2021年8月26日 【甲子園】智弁和歌山・高嶋仁名誉監督「言うことない」孫の奨哉が聖地1号
  2. スポーツ報知 2021年8月25日 【甲子園】智弁和歌山・高嶋奨哉 祖父、父を超える甲子園2安打「史上最遅の初戦」制し8強
  3. Sportiva 2021年8月23日 昭和、平成、令和…親子三代で甲子園出場を果たした「智辯和歌山・高嶋家物語」

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