◆父親:源田光明さん
源田壮亮さんの父親の名前は、源田光明さん。[1]
1952年頃の生まれになります。
父・光明さんは、新日本製鉄大分製鉄所(現・日本製鉄九州製鉄所大分)の安全環境防災部安全健康室に勤務。
定年後も嘱託として、社内の安全教育に取り組んできました。
源田さんの実家がある明野地区は、新日鉄の社宅が多い町で、ソフトボールが盛んな地域です。
そう考えると、光明さんの職業が、源田さんを野球に向かわせた間接的な原因となっているんですね。
◆母親:源田靖子さん
源田壮亮さんの母親の名前は、源田靖子さん。[2]
1958年頃の生まれになります。
前述のとおり、中学までは体が小さかった源田さん。
母・靖子さんは、息子の身体を大きくするために、肉中心の食事を心がけました。
しかし、当時の源田さんは食が細かったため、相当苦労したのだとか。
靖子さんは、
今でも“スイーツ王子”なんて呼ばれているようですが、本当に甘いものが大好きで、試合後も必ずケーキを買って帰っていました。朝からケーキでもいいぐらいの子でしたからね。高校の食い込み合宿の前ぐらいです。練習といって一生懸命食べていたのは
と、当時を振り返っています。
源田さんは、体が小さかった大分商業1年頃まで、
高校で野球を辞めて大分で就職しよう
と考えていました。
しかし、その後の1年半ほどで身長は20センチ近く伸びています。
身長を手にしたことで、もともと非凡な守備センスを持っていた源田選手は、たちまち大分県を代表する高校球児として騒がれるようになったのでした。
◆2歳年上の兄
源田壮亮さんには、2歳上のお兄さんがいます。
小学校でソフトボールを始めた時は、お兄さんも同じチームにいたのだとか。
その後、野球をされていたのかは分かりません。
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