中野拓夢の【家族】~結婚してる?実家「虎党一家」の父と母、兄と姉について

阪神タイガースに所属するプロ野球選手、中野拓夢さん。

座右の銘は夢叶うまで挑戦です!

今回は、そんな拓夢さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:中野拓夢(なかの・たくむ)
生年月日:1996年〈平成8年〉6月28日
身長体重:171cm/69kg
血液型 :A型
家族構成:
①実 家…父親、母親、兄、姉
②独立後…独身(未婚)
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◆実家・生い立ち

中野拓夢さんは、山形県天童市の出身。

小学校は地元の、天童市立天童北部小学校へ通いました。

虎党である家族の影響を受けて、幼少期から大の阪神ファンだった拓夢さん。

人生で最初に買ってもらったユニホームは、当時、タイガース・今岡誠(いまおか・まこと)さんの背番号「7」でした。

小学校に通学する時も、遊ぶ時にも、いつも背番号「7」を着ていたそうです。

拓夢さんが侍ジャパンで「7」を背負っているのは、偶然ではないのですね。

また、拓夢さんは小学生の頃から大変な負けず嫌いで、何でも「一番」でないと気が済まない性格でした。

短距離、長距離で毎年学校の歴代記録を更新していたそうです。

終わった人から提出するルールの小テストも、いつも1番に提出していました。

まだ解き終わっていなくても、1番に提出してました!

野球は、小学2年生の時から軟式野球を始めました。[1]

守備力を買われ、4年生で右翼のレギュラーを掴みます。

当初は右打ちでしたが、5年生で左打ちに転向。

のちに、本職となる遊撃も初めて守りました。

中学校は、天童市立第二中学校へ進学。

僕は一生野球をやりたいから。お願い、シニアのチームに入れて

と、両親に懇願し、硬式の山形リトルシニアへ所属しました。

中学時代は、セカンドやショートを守りましたが、突出した選手ではなく、目立たずおとなしいタイプ。

それでも、打撃も守備もうまくいかないと絶対に納得せず、できるまで練習を続けました。

山形リトルシニア総監督の矢萩博さんは、

「誰にも負けない気持ちの強さ」を感じた

と、話しています。

高校は、矢萩総監督の母校でもある、日本大学山形高等学校へ進学。

高校1年時は控え遊撃手としてプレーするも、2年夏からは「2番・二塁手」に定着。

これは、1学年上の正遊撃手・奥村展征(おくむら・のぶゆき)さんとの兼ね合いで、そうなったのでした。

(奥村展征さん↓)

2年生の時、奥村さんと共に甲子園大会に出場し、山形県勢初の夏ベスト4入りに貢献。

準決勝の前橋育英高校戦では、髙橋光成(たかはし・こうな)さんから安打を放ちましたが、チームは敗れました。

3年からは「3番・遊撃手」を務めましたが、夏は県大会準決勝で酒田南高校に敗れています。

高校卒業後は、東北福祉大学へ進学。

1年春からベンチ入りすると、大塚光二監督の助言で、一時期はスイッチヒッターにも挑戦しました。

3年春と4年春秋にベストナインを獲得。

4年時に出場した大学選手権では、国際武道大学との決勝戦で伊藤将司さんから適時打を打つ活躍で優勝に貢献しました。

東北福祉大では、2学年上に長坂拳弥(ながさき・けんや)さんが…

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1学年上には、楠本泰史(くすもと・たいし)さんが…

1学年下には、津森宥紀(つもり・ゆうき)さんと…

八木彬(やぎ・あきら)さんがいました。

大学卒業後は、三菱自動車岡崎へ入団。

1年目から遊撃手としてレギュラーに定着しました。

2年目の都市対抗野球予選では、2本塁打を打つなどの活躍で本戦出場を果たします。

2020年のドラフト会議で阪神タイガースから6巡目指名を受け、プロの道を歩き始めました。

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