2019年10月6日、400勝投手の元プロ野球選手、金田正一さんが亡くなりました。
今回は、生前の金田さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
【本人プロフィール】
名前:金田正一(かねだ・まさいち)
生年月日:1933年8月1日
没年月日:2019年10月6日
享年:86歳
◆息子は俳優・金田賢一
金田正一さんには息子さんがいて、名前は金田賢一(かねだ・けんいち)さん。
1961年8月22日生まれなので、現在(2019年10月)58歳になります。
偉大な父の影響で、賢一さんは成城学園中学時代、野球をやっていましたが本人いわく「下手だった」ということ。
そのためか役者の道を志し、金田さんの友人だった長門裕之氏が製作に係わっていた映画『正午なり』でデビューしました。
その後もコンスタントに役柄をこなし、味のある俳優として安定的な評価を得ています。
奥さんは、宝塚歌劇団花組男役だった梓のぼるさん。
梓さんとの間に、娘が一人います。
◆弟①金田高義
金田正一さんは7人兄弟の次男とされています。
詳しい兄弟構成は分かりませんが、金田高義(かねだ・たかよし)さんという弟がいました。
弟の高義さんは、1938年12月1日生まれなので、金田さんより5歳年下になります。
高義さんは、愛知高校から1958年、国鉄に入団。
一軍での実績は無く、1960年限りで引退しています。
◆弟②金田星雄
金田正一さんには、金田星雄(かねだ・ほしお)さんという弟もいました。
弟の星雄さんは、1941年12月1日生まれなので、金田さんより7歳年下になります。
星雄さんは、愛知高校から1960年、国鉄に入団。
こちらも一軍での実績は無く、1961年限りで引退しました。
引退後は歌手に転向し、1962年に「初恋岬」で歌手デビュー。
小宮恵子さんとのデュエットが多く、「幸せを掴んじゃおう」という曲がヒットしています。
◆弟③金田留広
金田正一さんには、金田留広(かねだ・とめひろ)さんという弟もいました。
弟の留広さんは、1946年11月17日生まれなので、金田さんより13歳年下になります。
留広さんは、愛知高校を卒業後、愛知学院大学に進学。
大学中退後は、社会人・日通浦和を経て、1969年にドラフト4位で東映フライヤーズに入団しました。
兄・正一さんと同じ背番号34を着け、入団1年目から直球とカーブを武器に18勝を挙げています。
その後、ロッテ、広島へと移り、通算128勝をマーク。
引退後はロッテ二軍の投手コーチを務めるなどしましたが、2018年10月2日、71歳で亡くなりました。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、金田正一さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
今後は空の上から、後輩たちの成長を見守ってくれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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