大阪桐蔭高等学校の野球部に所属する、松浦慶斗選手。
好きな食べ物はオムライスです!
今回は、そんな慶斗さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆生い立ち
松浦慶斗さんは、宮城県石巻市で生まれました。
小学校は地元の、石巻市立門脇(かどのわき)小学校に通います。[2]
野球は小学校1年生の時に、門小ガッツスポーツ少年団に入り、野球を始めました。
そして、同じく小学校1年だった2011年3月11日。
石巻は、東日本大震災に見舞われます。
慶斗さんは、授業が終わった直後に大きな揺れに直面しました。
両親が駆けつけ、近くの中学校へ避難。
校庭に止めてあった車が津波で流され、火事も起きました。
同じアパートに住んでいた友達は、バスに乗ったまま津波に流され、亡くなりました。
あの時の光景は忘れられない
震災は、慶斗さんの心に大きな傷を残しました。
小学校2年の時、一家は北海道旭川市に転居。
小学6年時には、日本ハムファイターズジュニアに選出されています。
中学校は、旭川市立明星中学校へ進学。[3]
野球はボーイズリーグの旭川大雪ボーイズでプレーを続けました。
中学校1年からは、世代別の日本代表にも選ばれています。
この頃、U-15代表で一緒だった池田陵真(いけだ・りょうま)選手から、
一緒に大阪桐蔭で野球しよう!
と誘われたことをきっかけに、大阪桐蔭高等学校へ進学。
大阪桐蔭では1年秋からベンチ入りしています。
◆家族構成
松浦慶斗さんの実家の家族構成は、父親、母親、兄、慶斗さんの4人家族です。
◆父親は北海高で甲子園2度出場
松浦慶斗さんの父親の名前は、松浦吉仁(まつうら・よしと)さん。[4]
1972年頃の生まれになります。
父・吉仁さんは、元甲子園球児。
北海高等学校で、1988年春と1989年夏の2度、甲子園に出場しました。
その後、社会人・山陽国策パルプ旭川(現・日本製紙)で活躍。
同社の石巻野球部監督も務めています。
◆母方の従兄はSB古谷優人
松浦慶斗さんの母親の名前は、松浦美雅(まつうら・みか)さん。[1]
実は母・美雅さんも野球に関連がある方です。
美雅さんの妹の名前は、古谷理江さんと言います。
そして、理江さんの次男は、福岡ソフトバンクホークスの古谷優人(ふるや・ゆうと)投手なのです。
慶斗さんから見ると従兄になりますね
小さい時から親戚で集まる時は、一緒にキャッチボールをして遊んでいたそうです。
◆兄弟
松浦慶斗さんには、お兄さんが1人います。
お兄さんも野球をやっていたかもしれませんね。
◆まとめ
松浦慶斗さんは、旭川で暮らし、大阪で活躍する今でも、震災のことを忘れる事はありません。
野球がやりたくてもできない人がいる。みんなの分までといったらクサいんですけど、自分が代表して引っ張っているような感じで10年やってきた…
慶斗さんは、津波で野球をやれなくなった子供達の思いを背負い、今日もマウンドに立ちます。
◇脚注
- スポーツ報知 2019年2月14日 北海道NO1左腕・松浦慶斗、大阪桐蔭進学 最速138キロ 中学で世界一、華麗なる一族
- 朝日新聞 2021年3月15日 大阪桐蔭エース、東日本大震災を経験 忘れられない光景
- 北海道新聞 2021年3月19日 「センバツ好投を」旭川からエール 小中過ごした大阪桐蔭・松浦さんへ 幼なじみの旭実・田中さん「刺激受けたい」
- 毎日新聞社センバツLIVE! 2021年3月23日 苦さ味わい夏への誓い新た 大阪桐蔭・松浦慶斗投手 選抜高校野球
コメント
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