張本勲の『家族』〜韓国出身の父親と母親…兄と2人の姉、妻と娘について

元プロ野球選手、現在はコメンテーターとして活躍する、張本勲さん。

同期は王貞治氏です!

今回は、そんな張本さんを取り巻く『家族』の物語です。

【プロフィール】
名前:張本勲(はりもと・いさお)
韓国名:張勲(チャン・フン)
生年月日:1940年〈昭和15年〉6月19日
身長:181cm
血液型:O型 [1]
出身地:広島県広島市
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◆生い立ち

張本勲さんは、広島県広島市の出身。

4歳の冬、土手で焚き火を囲んでいた際に、バランスを崩して焚き火に飛び込んでしまいました。

この時、右手の親指、ひとさし指、中指以外の自由を失う大火傷を負います。

小学校は地元の、広島市立比治山(ひじやま)小学校に通いました。

張本さんは小学5年のとき、友人に誘われて野球を始めます。

当初は右投げ左打ちでしたが、右手の怪我の影響で変化球を投げづらかったことから、サウスポーに転向しました。

中学は地元の、広島市段原(だんばら)中学校へ進学。

水泳をやりたかったのですが水泳部がなく、仕方なく野球部に入部します。

中学2年生のときにレギュラーになり、エースで4番打者として広島県大会で優勝しました。

一方で、中学時代はケンカに明け暮れ、姉を騙したヤクザを半殺しにしたこともあったといいます。

『仁義なき戦い』のモデルになったような人たちにも憧れ、

あのまま広島にいたらヤクザになっていたと思う

と、話しています。

ある日、広島に遠征した巨人の選手らが利用する宿舎をのぞくと、選手たちの皿には溢れんばかりのステーキが…

あんなものを、お袋にも食わせてやりたい…

張本さんがプロを志した瞬間でした。

高校は、野球の強豪である広島商業高等学校広陵高等学校への入学を希望しましたが、素行不良との理由で叶わず。

野球では全く無名の松本商業高等学校(現・瀬戸内高等学校)の定時制に進学します。

しかし、松本商業に甲子園出場の芽がないと悟ると、大阪の浪華商業高等学校(現・大体大浪商)へ転校しました。

2年終わりには、センバツ甲子園の切符をつかみますが、一般生徒が刑事事件を起こしたため、出場辞退を余儀なくされます。

続く3年夏の夏の甲子園でも県大会で優勝しますが、大会直前に部室内での暴力事件が発覚。

数人の休部処分により、チームの甲子園出場は認められましたが、張本さんは濡れ衣により休部となりました。

念願の甲子園出場は最後まで叶いませんでしたが、プロからはお声がかかり、東映フライヤーズに入団しています。

◆家族構成

張本勲さんの実家の家族構成は、父親、母親、長姉、兄、次姉、張本さんの6人家族でした。

自身は結婚していますが、奥さまや子供については、あまり明かされていません。

◆韓国出身の父親

張本勲さんの父親の名前は、張尊禎(チャン・サンジュン)さん

名前からわかるように、父・尊禎さんは韓国出身です。

尊禎さんは終戦後、財産整理のため韓国に戻りましたが、そのまま病死されています。

◆母親も韓国出身

張本勲さんの母親の名前は、朴順分(パク・スンブン)さん。

1902年頃の生まれになります。

母・順分さんも韓国出身ですが、1939年に日本へ渡りました。

戦後、父親が朝鮮半島に戻り、生活基盤を整えてから母親も戻ることになっていましたが、父親の病死により断念。

順分さんは広島駅前の闇市で、牛や豚の臓物を仕入れて、自宅でホルモン焼き屋を始めました。

戦後、日本語もしゃべれず、女手一つで何人もの子供を育てる苦労は、想像を絶するものがあったでしょう。

張本さんは、

母親の寝た姿を見たことない

と話しています。

プロ入り時、契約金200万円から100万円を出して、母のために広島で53坪の土地に家を建てました。

トタン屋根の小さな家からいいところに住んでもらいたくてね

それは張本さんができた最初の親孝行だったのです。

母・順分さんは、1985年に83歳で亡くなっています。

◆長姉は原爆で命を落とす

張本勲さんの一番上のお姉さんは、点子(てんこ)さんと言います。

1931年頃の生まれなので、張本さんより9歳ほど年上になります。

姉の点子さんは、国民学校高等科(現在の中学校)に通い、色白で背が高く、自慢の姉でした。

しかし、広島原爆により、14歳で亡くなっています。

担架で運ばれた点子さんは全身に大やけどをしていました。

熱いよう、熱いよう…

母の懐でうめく点子さんに、張本さんはブドウを一房もぎ、口元で搾ってあげました。

ありがとう…

消え入りそうな声が、最期の言葉となりました。

◆野球人生を支えた兄

張本勲さんのお兄さんの名前は、世烈さん。

1932年頃の生まれなので、張本さんより8歳ほど年上になります。

実は、大阪の浪商に転校することを、母親は良しとしませんでした。

そんな母親を説得したのは、兄の世烈さんだったのです。

世烈さんの当時の職業は、タクシーの運転手。

兄は弟のため、2万3000円の月給から1万円を毎月仕送りしてくれたのでした。

兄・世烈さんは、1996年に64歳で亡くなっています。

◆次姉

張本勲さんの2番目のお姉さんは、小林愛子さん。

年齢は、張本さんより2歳年上になります。

2018年春、愛子さんは核兵器廃絶を訴える署名をひとりで集め始めました。

広島で被爆した張本勲の姉です。核兵器をなくすため署名してください

役所に、会社に、「飛び込み営業」をかけ、署名を増やしていきます。

2019年12月、1年半あまりかけて集めた署名は3130を数えました。

弟の張本さんが誇るプロ野球最多安打記録の「3085」を超えたのでした。

話を聞いた張本さんは、

お姉、大あっぱれじゃ

と、電話で褒めてくれたそうです。

◆妻

張本勲さんの奥さまは、あまりメディアに登場しません。

◆娘

張本勲さんには娘さんがいることが分かっています。

父親を急病で亡くした吉田沙保里(よしだ・さおり)選手が、2014年のワールドカップで快勝したとき、

勝ったからじゃなくて、親孝行にあっぱれです

と褒めたたえた張本さん。

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私事だけどね、下の娘は親不孝だからね、この場面を見ると、すごく胸がしみるんですよ。いい人ですよ。いい子ですよ

と、娘さんの話を始めたのです。

「下の娘」と言っているので、上に「お兄さん」か「お姉さん」がいるのでしょう。

◆まとめ

これまで見てきた通り、張本勲さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。

これからも家族の応援を胸に、張本さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿

◇脚注

  1. exciteニュース 2021年8月12日確認 張本勲のプロフィール

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