「球界でも屈指のバットコントロール術!」福岡ソフトバンクホークスの内川聖一(うちかわせいいち)選手。
そんな内川聖一選手の今まで歩んできた人生を振り返ってみたいと思います。
■父母はどんな人?兄弟はいるの?
内川聖一選手は、1982年8月4日、大分県大分市で生まれました。
高校を卒業するまでは、実家で暮らしています。
父は高校野球の監督で、母は野球のルールもしらないほどの「野球オンチ」。
兄弟は弟がいて、弟も野球をしていました。
父が監督、弟も野球、それを母が見守る感じの「野球一家」ですね。
親父と一緒に甲子園へ行く!
そんな夢を内川聖一選手は描いていましたが、甲子園出場の夢はかないませんでした。
しかし、大分県大会準優勝ですから、凄い(゚д゚;)
■実家に帰省したときの母親の言葉
内川聖一選手は、プロ野球に入団して準レギュラーの時代が長かった選手です。
ある年のシーズンオフに実家に帰省したとき
次のシーズンがダメなら辞める
と母親に告げました。
本当にやるだけやってダメだったら帰ってきなさい
お母さんは、そう言ったそうです。
もしここで、
もう少し頑張ってみたら?
と言われたら
俺だって一生懸命やっている!
と反発をして本当に辞めていたかもしれません。
でも、母親からそう言ってもらったことで
よし!やろう!
と決めることができたのです。
お母さんは、
“次のシーズンがダメなら辞める”
と言った内川選手の言い方や表情で、どんな気持ちなのかを察したのですね。
母親ならではのアドバイスだと思います(^_-)
■兄弟は仲がいい?どんな弟?
内川聖一選手と弟は、とても仲のよい兄弟です。
オフのときは、必ず会って食事をするそうですね。
弟・洋平さんは、とても爽やかな好青年ってイメージです。
楽天の松井稼頭央選手に似ていますね。
■まとめ
内川聖一選手は、高校1年生のとき、左足のかかとの骨が薄くなって割れ、痛みで立つことができない病に襲われました。
短期間で数回の手術を受け、数か月入院を余儀なくされます。
その後も続くリハビリの中で、
「野球ができることのありがたみ」
「学校に通えることのありがたみ」
を感じたそうです。
これまで、当たり前だと思っていたことの素晴らしさを病が教えてくれたのです。
病というネガティブになる要素を、プラスの力に変える…
「マイナス」を経験して、人生トータルで「プラス」となる…
野球選手として、また人としても素晴らしい内川選手、今後も期待したいです。
◇編集後記
内川聖一さんが愛用するネックレスを見つけました。
ソフトバンク時代の画像です。
ソフトバンク・内川が退団へ…開幕から一度も1軍に上がれず、他球団での現役続行を選択 https://t.co/bQHm1VWOz7 @zakdeskより pic.twitter.com/KBIAiozXCh
— カゲロウ (@Kagerou_Kazoku) May 14, 2022
これは、コラントッテの TAO ネックレス AURA ですね。
コラントッテ(Colantotte) TAO ネックレス AURA プレミアムゴールド
内川選手は、

長いシーズンを勝ち抜くために必要なのは、万全な体を維持すること
と話しています。
しかし、常にベストコンディションを保つのは難しいのが現状。
その点、コラントッテは、

着けているだけで僕の体を守ってくれている気がします
ということで、長年、愛用しています。
いつも身に着けていられるよう、バッグの中に数種類を入れて持ち歩いているそうですよ😉

コメント
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