森繁和・監督として怖い?結婚やお嫁さんについて…年棒の推移は?

「名参謀」の異名を持つ、中日ドラゴンズの森繁和(もりしげかず)監督。

そんな森監督の横顔に迫りたいと思います。

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■結婚やお嫁さんについて

1954年11月18日生まれ、孫がいてもおかしくない年齢です。

結婚について調べましたが、確実な情報はつかめませんでした。

でも、イメージ的には、

「孫と遊ぶ良きおじいちゃん」

って感じですよね(*^_^*)

選手指導では、厳しい感じがしますが、こういう人ってオンとオフは、はっきりしてそうですよね?

森繁和監督からイメージするに、

「品のある綺麗(和服が似合う感じ)な奥様」

内助の功で、森監督をしっかり支えてくれているのではないでしょうか?

→末尾に追記あり

■森繁和監督って怖い?本当は・・・

森繁和監督は、いつもサングラスをして、オールバックの髪型…一見すると確かに怖いですね(^_^;)

でも、本当は優しくて、とてもいい人です。

選手に対しての指導は厳しいですが、兄貴分として慕われています。

ある選手が、

「見た目は、怖いけど、本当は、怖くないですよ」「いいお父さんみたいです」

と話していました。

人のイメージって、第一印象で70%が決まってしまうそうです。

人を外見で判断していけない!典型的なパターンですよね。

■年棒の推移

森繁和監督は、1978年に西武ライオンズに入団しました。

契約金5500万円、年棒360万円でスタートした森監督。

現役時代の年棒を調べてみました。

1979年   360万円
1980年   680万円
1981年     980万円
1982年  1560万円
1983年    2310万円
1984年  3512万円
1985年  3400万円
1986年  3000万円
1987年  1500万円
1988年  2400万円

こうやって見てみると、時代の違いなのか、少ない印象を受けます。

34歳で現役を引退して、そこからはずっとコーチをしていました。

(コーチとしての年棒)

西武時代    1500~3000万円
日本ハム時代  2100万円
横浜時代    2500万円
中日時代    2500~5000万円

コーチでも、2軍コーチ、1軍の投手コーチ、バッテーリーコーチ、ヘッドコーチと、ポジションによっても年棒は変わってきます。

■まとめ

森繁和監督の特徴は、現役年数よりも指導者年数の方が多いことです。

指導者向きの人なのですね。

中日時代には、落合監督から信用されていて、投手部門に関しては、すべて任されていました。

投手出身が監督のチームは、強いとも言われています。

ここ最近、低迷が続く中日ドラゴンズを立て直すことができるのでしょうか?

森繁和監督に期待したいですね(^o^)丿

追記

2017年8月7日、森繁和監督の長女が、乳がんのため35歳の若さで亡くなりました。

森監督はおそらく結婚されていて、奥さまもいたという結論になります。

翌日の広島戦で指揮をとった森監督。

試合は延長12回の死闘の末、引き分けとなりました。

勝てれば一番よかったんだけど、広島相手にこういう試合ができたというのがね

と笑みを浮かべたそうです。

天国のお嬢さんも笑ってくれているでしょうか?

ご冥福をお祈り申し上げます。

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