智弁学園和歌山高等学校の野球部に所属する、高嶋奨哉選手。
好きな言葉は「捲土重来(けんどちょうらい)」です!
今回は、そんな奨哉さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆生い立ち
高嶋奨哉選手は、和歌山県紀の川市の出身。
小学校は奈良県にある、香芝(かしば)市立二上(にじょう)小学校に通いました。[1]
小学校2年生から二上スポーツ少年団で野球を始め、小学校4年生の時に和歌山の小学校に転校。
根来ファイターズに所属し、6年生の時には阪神タイガースジュニアでもプレーしました。
中学校は岩出(いわで)市立岩出第二中学校へ進学。[1]
チームは粉河シニアに所属し、主に三塁手として活躍しました。
中学3年の春には、全国大会出場を果たしています。
高校は、
自分も甲子園に行きたい!
と、智弁学園和歌山高等学校へ進学。[1]
1年の秋からベンチ入りし、2年夏の交流試合で、初めて甲子園の土を踏みました。
◆家族構成
高嶋奨哉さんの実家の家族構成は、父親、母親、姉、奨哉さんの4人家族です。
◆祖父は智弁和歌山の名誉監督・高嶋仁
高嶋奨哉さんの祖父の名前は、高嶋仁(たかしま・ひとし)さん。[2]
1946年〈昭和21年〉5月30日の生まれになります。
祖父・仁さんは、長崎県の五島列島にある福江島の出身。
長崎市にある海星(かいせい)高等学校へ進学しますが、入部した野球部員は120人ほどいました。
人数減らしのため、連日続く壮絶なシゴキ。
仁さんは、
負けるか!クソったれ!
と耐え、2年時にはレギュラーの座をつかみました。
6番・レフトで戦った1963年の夏、長崎県を制し、甲子園に出場。
この時の開会式の入場行進に感動し、
また絶対に帰ってくる。将来も指導者になって帰ってくる
と心に決めました。
ちなみにこの夏は、埼玉県立大宮高等学校に敗れ、初戦敗退。
副キャプテンとして連続出場を果たした1964年夏は、1番・センターで甲子園初安打を放ちます。
しかし、山口県代表の早鞆(はやとも)高等学校に2対10と敗れ、勝利を味わうことはできませんでした。
高校卒業後は、
中学の野球部の監督の母校と同じ所へ
と決めていた、日本体育大学体育学部体育学科へ進学。
大学卒業後は、智弁学園高等学校のコーチとなり、1972年に監督へ就任しました。
1980年に智弁和歌山高等学校の監督へ転任。
そして就任から12年目の1991年夏、「親子鷹」として甲子園の土を踏むことになります。
◆父親も智弁和歌山で甲子園へ
高嶋奨哉さんの父親の名前は、高嶋茂雄さん。[3]
1975年頃の生まれになります。
父・茂雄さんの名前は、祖母(奨哉さんの曽祖母)の名前・茂子さんと、スーパースター・長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんからとって命名されました。
父・茂雄さんは、子供の頃からチームに入って野球をやりたかったのですが、
ほかのスポーツも経験しておいたほうがいい
という祖父・仁さんの意向があり、本格的に野球を始めたのは中学からでした。
しかし、そこから必死で練習に励み、高校は覚悟を決めて父が監督を務める智弁和歌山高等学校へ進学。
家で温厚な仁さんは、グラウンドでは鬼のようにノックを打ちまくり、強烈な打球に必死に食らいつきました。
そして”鬼監督“との戦いの日々はむくわれ、茂雄さんは高校2年の夏に甲子園出場を果たします。
甲子園では初戦に先発出場しましたが、福島県代表の学法石川に敗退。
高校3年の夏も甲子園の土を踏みましたが、千葉県代表の拓大紅陵に敗れています。
卒業後は日体大を経て、スポーツメーカーに勤務したのち、教員となりました。
智弁学園が経営する奈良カレッジ中学部で野球部の監督に就き、平穏な日常を過ごします。
しかしこの時、父・茂雄さんの中に、ある思いが去来しました。
野球に熱中し始めた奨哉と、一緒の時間を過ごしたい
そこで、和歌山県へ転居して、土日の休日が増える支援学校への勤務となりました。
奨哉さんは父の思いを受け止め、智弁和歌山の野球部へと駒を進めたのでした。
◆まとめ
高嶋奨哉選手の祖父・仁さんは、甲子園最多勝利監督という記録を持っています。
父・茂雄さんと共に、2度の甲子園出場経験がありますが、2人とも甲子園での勝利はありませんでした。
昭和、平成、令和と時は流れ、思いを受け継いだ奨哉さん。
2021年夏に高知商業を下し、高嶋家の甲子園初勝利を果たしています。
これからも家族の応援を胸に、奨哉さんの挑戦は続いていきます😉
◇脚注
- 日刊スポーツ 2021年8月26日 【甲子園】智弁和歌山・高嶋仁名誉監督「言うことない」孫の奨哉が聖地1号
- スポーツ報知 2021年8月25日 【甲子園】智弁和歌山・高嶋奨哉 祖父、父を超える甲子園2安打「史上最遅の初戦」制し8強
- Sportiva 2021年8月23日 昭和、平成、令和…親子三代で甲子園出場を果たした「智辯和歌山・高嶋家物語」
こちらの記事も読まれてます!
コメント
[…] 高嶋奨哉の『家族』〜祖父は智弁和歌山の名誉監督・高嶋仁…父親も甲子園へ智弁学園和歌山高等学校の野球部に所属する、高嶋奨哉選手。 好きな言葉は「捲土重来(けんどちょうらい […]