2021年8月3日、中日ドラゴンズに所属する木下雄介投手が亡くなりました。
今回は、生前の木下さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆生い立ち
木下雄介さんは、大阪府大阪市平野区の出身。
大阪市立加美中学校時代は、ボーイズリーグの加美ウイングスボーイズ(現:大阪加美ボーイズ)でプレーしました。
高校は、徳島県の生光(せいこう)学園高等学校に越境進学。
3年生時、夏の甲子園徳島大会で決勝まで進みますが、徳島県立徳島商業高等学校に敗れ、甲子園の夢は叶いませんでした。
3年夏には、高校野球四国選抜チームに選ばれ、ハワイ遠征に参加しています。
翌年、駒澤大学に進学しますが、肩を故障して1年で中退。
大阪でアルバイト生活を送り、フィットネスジムのトレーナーを経て、2014年からは不動産会社で営業の仕事に就いていました。
営業1年生として忙しい日々を送っていた2014年10月。
木下さんはSNSに上がった写真を見て驚きます。
3年前、一緒にハワイへ遠征した増田大輝選手が四国リーグ・徳島インディゴソックスでプレーしていたのです。
増田さんも近大を中退し、地元・徳島に戻っていました。
二塁手のレギュラーとして、独立リーグ日本一を達成したという活躍に刺激を受け、木下さんは再びボールを握ることを決意。
2015年の開幕を控えた3月、練習生として徳島インディゴソックスに入団したのでした。
◆家族構成
木下雄介さんの実家の家族構成は、父親、母親、兄がいるところまでは判明しています。
自身はプロ入り前に結婚しており、妻と2人の子供がいます。
◆交通事故で父親を亡くす
木下雄介さんの父親の名前は、木下隆(きのした・たかし)さん。[1]
雄介さんが、
野球をもう一度やる
と言った時、一番喜んでくれたのは父・隆さんでした。
しかし、2019年7月、隆さんは帰らぬ人となります。
地元大阪で、交通事故に巻き込まれたのです。
58歳の早すぎる旅立ちでした。
◆母親の言葉
父の訃報をナゴヤ球場で聞いた木下雄介さん。
チームからはすぐに実家へ戻るよう促されますが、
父親は“どんな時でも仕事を休むな”が口癖で、40度の熱があっても仕事に行っていた
と思い出し、公式戦での登板を終えてから大阪へ向かいました。
次の日、お通夜に屈強なスーツ姿の人が10人以上現れます。
試合を終えたばかりの、ドラゴンズに仲間たちでした。
母親は、
あなたは、ドラゴンズの皆さんに救われているのね
と、その瞬間だけ笑顔になりました。
プロの世界。ライバルと群れる必要もない
こう考えていた雄介さんでしたが、母親の言葉で仲間の大切さを再認識しています。
◆兄弟
木下雄介さんにはお兄さんがいて、名前は木下貴介(きのした・きすけ)さん。[2]
雄介さんの追悼試合では、兄・貴介さんが始球式を行っています。
◆元水泳選手の妻
木下雄介さんは、プロ入り前に結婚しています。
奥様の名前は、木下茜(きのした・あかね)さん。[3]
年齢は、雄介さんより2歳年上になります。
2人の馴れ初めは、雄介さんが野球を辞めて、アルバイトをしていたころ。
同じフィットネスジムで働くうちに、交際に発展しました。
実は茜さんは元水泳選手🏊♀️
高校までは水泳の強豪で鳴らしましたが、タイムが伸びず引退しています。
同じような境遇にあった2人が、惹かれ合うようになるのに、時間は必要ありませんでした。
◆子供
木下雄介さんには2人の子供がいます。
第一子は女の子で、名前は叶望(かの)ちゃん。
2016年12月に生まれています。
第二子は男の子で、名前は志厳(じげん)くん。
2018年11月生まれとなります。
◆まとめ
これまで見てきた通り、木下雄介さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからは空の上から、子供たちの成長を見守ってくれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇脚注
- 日刊スポーツ 2019年7月23日 中日木下雄介の父隆さんが交通事故で死去、58歳
- 中日スポーツ 2021年9月5日 全員が背番号「98」… 中日が木下雄介さん追悼試合
- 中日スポーツ 2016年12月12日 木下雄、愛娘のために
コメント
兄弟兄だけちがいますよ
コメントありがとうございます。
謹んで、訂正させていただきました。