かつてヤクルト・巨人に在籍し、現在はタレントとして活躍する、長嶋一茂さん。
今回は、そんな一茂さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:長嶋一茂(ながしま・かずしげ)
本名:一茂・パウロ・長嶋
生年月日:1966年1月26日
年齢:52歳※2019年1月20日現在
身長/体重:182kg/86kg
血液型:B型
◆最愛の妻・仁子さん
①妻・仁子さんは鹿児島出身
長嶋一茂さんの愛妻の名前は、仁子(ひとこ)さん。
結婚前は、猪野(いの)仁子さんという名前でした。
仁子さんは鹿児島県出身で、年齢は一茂さんより1歳年下になります。
一茂さんの母方の祖父母は鹿児島県に所縁があるので、その辺で意気投合したのかもしれませんね。
仁子さんは、
“中学時代からバレーボールの選手として活躍、高3のときに高校総体で優勝、卒業後実業団入りした”
という話もあります。
一茂さんの1歳年下なら、高校3年次は1984年度ですが、その年の高校総体女子の優勝校は大阪の四天王寺高校。
同じ年の春高バレーも四天王寺が優勝し、国体は宮城県の古川商業高校が制しています。
うーん、鹿児島県の高校ではないですね。
バレー留学でもしていない限りは、バレーボールでの全国レベルでの活躍には「?」マークがつきます。
②銀座高級クラブのホステスだった
長嶋一茂さんの知人によると、
“仁子さんは、女優かモデルかと思わせるくらい綺麗な方で、いつもお化粧も服装もパーフェクト”
と言うこと。
そんな綺麗な女性と、どうやって知り合ったのでしょう?
2018年7月の「女性セブン」記事によると、
“A子さんは銀座で超一流ホステスだった”
とあります。
プロ野球選手はよく銀座に飲みに行きますから、最初は客とホステスとして出会ったのでしょうね。
一茂さんは1996年にプロ野球を引退して、タレント活動を始めました。
そして、仁子さんはマネージャーというポジションで一茂さんを支えることになります。
仁子さんはお飾りのマネージャーではなく、ホステス時代に鍛えた感覚で、
“視聴者からどう見えているか、どう話せば良いのか”
を指南。
一茂さんは、仁子さんのアドバイスを素直に聞き入れ、タレントとして大成功を収めました。
ビジネス的な信頼がやがて愛情に変わるのに、そんなに時間はかからなかったのでしょう。
一茂さんは、親しい友人に、
“一緒にいると安らげるし、よく気が付く。最高のパートナー”
と話していたということです。
③妻との結婚を決めた理由
長嶋一茂さんと妻・仁子さんは、1999年9月27日に入籍しています。
一茂さんが結婚を決めた理由は、
“ノストラダムスの恐怖の大王がやってこなかったから”
というもの(?_?)
ノストラダムスとは、16世紀のフランスの予言者で、
“1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう”
という予言を残していたため、予言の解釈本がベストセラーとなるなど、社会現象となりました。
なるほど、7月に「恐怖の大王」が来なかったので、その2ヶ月後に結婚に至ったのですね。
まあ、一茂さん一流のジョークだったのでしょう(^_^;)
④結婚式で花嫁へ愛を誓う
長嶋一茂さんと妻・仁子さんの結婚式は、1999年の12月3日に行われました。
挙式は神奈川・箱根町の箱根神社。
正午からの結婚式に、一茂さんは黒の羽織はかま、仁子さんは白むくのスタイルで神殿に姿を見せました。
三三九度で杯を交わした一茂さんは、
“緊張でガクガクしっぱなし。手に汗かくし、すきっ腹だったので、思わず飲み過ぎて酔っぱらった”
と、一茂さんらしいジョークもあり、40分間の式は和やかに進みました。
午後からは箱根神社に近い「箱根プリンスホテル」で、午さん会(食事会)を開催。
野球関係者や俳優の高倉健さんら100人が名を連ねましたが、ウエディングケーキや派手な演出はなく、アットホームな食事会となりました。
一茂さんはグレーのスタンドカラーのスーツ姿、仁子さんはエメラルドのネックレスをつけた白いドレス姿で登場。
元巨人の落合博満さんが、
“一茂君は父の偉大さで苦労したけど、一茂君の子供は苦労しない。早く子供をつくってほしい”
とスピーチし、笑いを誘うシーンも。
一茂さんは、「父と子供の頃から来ていた」という箱根の地で、新妻の仁子さんに永遠の愛を誓ったのでした。
⑤妻からのクレーム
結婚して幸せいっぱいの2人ですが、一茂さんはああいうお方なので、妻・仁子さんからクレームが出ることも。
以下にまとめました。
- 交際中、デートは仁子さんが一茂さんより15分前に店に到着。一茂さんが到着する頃には料理が来ているようにと頼まれていた。
- 交際中の冬のある日、旅行先で朝5時に起こされ、秘境の神社に連れて行かれた。
- 一茂さんの誰にでも奢ってしまう癖。高校の時から貯金通帳には常に100万円が入っており、野球部員に焼き肉を奢っていた。
- 結婚後、夕食は小鉢から始まり、冷たいおかずから温かいおかずを徐々に出していくよう頼まれていた。
- 賃貸マンションに住んでいた時、妻に内緒で内装を勝手に変更。妻に怒られると施工業者と口裏を合わせ、業者に責任転嫁していた。
- 家を建てるとき、自分の部屋・リビング・寝室・廊下に面したソファの下など、普段一茂さんが使う場所にしか床暖房を設置しなかった。
うーん、さすがミスターの息子さんですね(^_^;)
これでもついてきてくれる仁子さんに感謝です。
⑥嫁VS江角マキコさん
妻・仁子さんを語る上で避けて通れないのは、2012年12月に発生した「落書き事件」。
長嶋一茂さんが一家でハワイ旅行中、新築の自宅ガレージに、
『バカ息子』
とスプレーで落書きされたのです。
その2年後、突如、江角マキコさんのマネージャーが、自身の犯行であることを告白。
江角さんは関与を否定しましたが、週刊誌では、
“江角マキコが10万円の報酬を渡してマネージャーに指示した”
と報じられました。
この事件の背景には、一茂さんの娘の学校(青山学院)で繰り広げられた、保護者同士の派閥争いがあったと言われています。
保護者は「江角派」と「反江角派」に分裂。
「反江角派」のトップが、一茂さんの妻・仁子さんだったのです。
激しい派閥同士の争いは、江角さんの下の息子さんの青学受験にも及びます。
反江角派は青学に対し、いかに江角さんの存在がマイナスかを訴えた「上申書」を提出。
「上申書」が影響したとは言えませんが、江角さんの息子さんは不合格となってしまいました。
“自分の事ならいざ知らず、あたしの子が何したって言うの…”
と絶望に打ちひしがれる江角さん。
そして、一部始終を間近で見ていたのが、実行犯となった当時のマネージャーでした。
この落書きが、江角さんの指示だったのか、マネージャーの独断専行だったのか、それは当事者にしかわかりません。
ただ、マネージャーが敵討ちを決行するのに充分なほど、反江角派=仁子さんとの争いは苛烈を極めていたのです。
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◆双子の子供たち
①双子の子供が誕生
結婚式後の会見で、
“子供は早く欲しい。男なら野球か格闘技をやらせたい(中略)僕は野球はダメだったけど、隔世遺伝でいいかもしれない”
と、真剣な表情で語った長嶋一茂さん。
結婚から5年後の2004年6月に、双子の女の子が誕生しました。
双子といっても二卵性で、血液型も性格も違うという娘さんですが、2人とも運動神経は抜群らしいので、まさに長嶋家の血ですね。
現在(2019年1月)中学2年生の娘さん達。
学校は、落書き事件の抗争の舞台となった、青山学院中等部です。
②子供たちからのクレーム
長嶋一茂さんは、家族を愛してやまない良い父親なのですが、娘たちへの愛が行き過ぎることも。
娘たちが短期留学する際は、お別れするのが辛かったため、1人でハワイの別荘に行ってしまったという逸話もあります。
行き過ぎた愛情に対する、子供たちからのクレームを以下にまとめました。
- 毎日”愛している”と言ってきて、返事を聞いてくる。
- 子供たちを大好きというが、歩くスピードが早くて追いつけずに怒ってくる。
- 娘が風呂に入っていても、知らんぷりして入ろうとする→『パパ出てって』と言われる。
しかし、一茂さんによると「ダメなパパ」を演じているだけであり、反面教師になってほしいと思っているとのこと。
ちなみに、もしも娘にボーイフレンドが出来た場合は、彼氏を空手道場に連れていき、一戦交えるのだとか。
一茂さんは空手歴23年(2019年現在)の黒帯で、2018年には全関東空手道選手権大会(50歳以上の部)で優勝しています。
ボーイフレンドの方は覚悟してくださいね(^_^;)
◆偉大すぎる父の陰で
長嶋一茂さんの父親は、「ミスター」長嶋茂雄さん。
“アンチ巨人はいてもアンチ長嶋はいない”
といわれるほど日本中から愛された、唯一無二のスーパースターです。
そんなスターの下に生まれた一茂さんは、生後4日目からテレビに登場し、幼少期からカメラに追い回されます。
小学4年生から野球を始めると、練習にはマスコミが殺到し、気がつけば友達も離れていきました。
大きすぎる期待と重圧―――。
プロ入り後も偉大すぎる父との比較は続き、ついには限界を迎えてパニック障害を発症します。
ほとんどノイローゼの状態で、自殺衝動もあったといいます。
3ヶ月後には、当時・ジャイアンツの監督だった父から戦力外通告を受けました。
野球から離れても病に悩まされ、2008年にはどん底の鬱状態に。
そんな生活を送りながらも、何年もテレビの仕事を続け、ゆっくりと時間をかけて症状は改善していきました。
しかし、2018年11月のテレビ出演では、いまだにパニック障害が完治しておらず、高いところや狭いところで息苦しさを覚えるといいます。
◆ハワイに眠る母
長嶋一茂さんの母親の名前は亜希子さん。
母・亜季子さんは、田園調布雙葉学園出身で、出版社の社長令嬢でした。
英語、フランス語をマスターした才女だった亜季子さんは、東京五輪のコンパニオン時代に長嶋茂雄さんと出会い、結婚しています。
一茂さんがプロ入りするときには、
“あなたは絶対やめなさい”
と、忠告してきたという母・亜季子さん。
一茂さんは母の真意が理解できず、
“何言ってんのかなおふくろ”
という気持ちでしたが、後から思えば
“おふくろの“先見の明”が当たっていた”
と、一茂さんは母親からの忠告をかみ締めるように振り返っています。
そんな母・亜季子さんですが、2007年9月、心不全で急逝しました。
今はハワイのお墓に眠っているそうです。
一茂さんのハワイ好きは有名で、しょっちゅう遊びに行っているみたいに思われていますが、お墓参りだったんですね。
◆兄弟姉妹の構成
①4人兄妹の長男
長嶋一茂さんは、4人兄妹の第1子で長男です。
第2子は長女の有季さん。
有希さんは一般人なのでほとんど表に出てきませんが、長嶋家の資産管理会社『オフィスエヌ』の取締役を務めていました。
しかし2010年に解任された形となっています。
第3子は次女の長島三奈(ながしま・みな)さん。
三奈さんはテレビ朝日スポーツ局に勤務した後、現在はフリーのスポーツキャスターとして活躍中。
三奈さんは「長嶋」ではなく「長島」という字を使っていますが、これはテレビ朝日が「常用漢字を使う」という規定があったためらしいですね。
第4子は次男の長島正興(ながしま・まさおき)さんです。
正興さんは元レーシングドライバーで、現在は環境に関する仕事に従事しているそうです。
②嫁VS長島三奈さん
もう一つ、兄妹間の争いに触れておかなければなりません。
現在、長嶋ファミリーには2つの会社があります。
1つは「長嶋茂雄」の商標権を持つ『オフィスエヌ』で、代表を務めるのは次女の長島三奈さん。
もう1つは一茂さんが所属する『ナガシマ企画』で、代表を務めるのは妻の長嶋仁子さんです。
2009年、両社の間で争いが勃発。
オフィスエヌが有する「長嶋茂雄」の商標期限が切れたタイミングで、ナガシマ企画が「長嶋茂雄」の商標を登録したのです。
この問題は、オフィスエヌ(三奈さん)側の猛抗議により、商標が戻されることになりましたが事態は収まりません。
そもそも、一茂さんにこのような策を練る発想はなく、仁子さんが大きく関わっていることは間違いありません。
現在も続いている[一茂・仁子夫妻 VS 三奈さん]の構図。
一番胸を痛めているのは、「ミスター」長嶋茂雄さんと、天国の母・亜季子さんに他ありません。
◆まとめ
長嶋一茂さんは、ハワイにある母のお墓に花を供える時、かならずバラの花を供えています。
“とにかくバラが好きな人だったんです。バラじゃないと怒られる気がしてね。あんまり天国行っても怒らせたくないし”
母・亜季子さんは、野球を辞めてどん底から這い上がった一茂さんを怒ったりはしないでしょう。
一茂さんがタレントとして、毎日テレビに出演するのも、お母さんのためかもしれませんね。
天国から一茂さんの顔を見れるように。*゜+ ゚・。*
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