2018年ドラフト1位候補、大阪桐蔭高校の藤原恭大選手。
今回は、そんな藤原選手を育んだ『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:藤原恭大(ふじわら・きょうた)
生年月日:2000年5月6日(18歳)※2018年8月現在
身長/体重:181cm/80kg
◆兄の名前や年齢は?
藤原恭大選手には兄がいて、名前は藤原海成(ふじわら・かいせい)さん。
年齢は、藤原選手より2学年上になります。
兄・海成さんも野球選手であり、共に父親が監督を務める軟式野球チームで野球を始めました。
近所のバッティングセンターに週3回通い、毎晩家の前でバットを300回振りました。
共に父親に指導を受けたため、2人の打撃フォームはそっくり。
“一緒に甲子園に行く”
が2人の合言葉になるのは自然なことでした。
兄はPL最後の部員
藤原恭大選手が中学2年の春、兄・海成さんはPL学園に入学しました。
その夏、PL学園は大阪大会で準優勝。
寮生活で離ればなれだった兄はワクワクした顔で
“練習はしんどいけど、レベルが全然違う。ここで一緒に甲子園に行こうや”
と語り、藤原選手もPL学園への進学を志します。
しかしその直後、学校側からまさかの「翌年の部員募集停止」が告げられました。
PL学園には、後輩も野球経験のある監督も現れず、兄・海成さんが2年の秋には部員は12人となります。
“不安だったけど、逆に環境を前向きに捉えていた。少ない人数だからこそ、思う存分打撃練習もできた”
そうして迎えた、2016年高校野球選手権大阪大会。
PL学園は「最後の夏」として注目されましたが、初戦で敗退。
春夏合計7回の優勝を誇る強豪校は、その歴史に休止符を打ちました。
◆兄・藤原海成の進路は?
PL学園に入れなくなった藤原恭大選手は、「日本一に一番近い」大阪桐蔭に入学します。
激しいポジション争いにもまれる中、
“恭大は身体能力が高い。他の選手にも絶対負けないから、自分の力を信じろ”
という兄の言葉を支えに、レギュラーの座をつかみました。
“兄に甲子園の景色を見せたい”
という新たな目標が加わった藤原選手は、2年春のセンバツに出場し、兄弟の夢を叶えました。
“僕の夢をかなえてくれて、うれしかった。もう選手としてははるか上に超えられちゃいました”
と話す兄・海成さんは、大阪経済法科大学に入学し、野球部でレギュラーを獲得しています。
◆実家の父親は焼き鳥店を経営
藤原恭大選手は兵庫県尼崎市出身とされていますが、現在の実家は大阪・豊中にあるようですね。
豊中市立原田小学校時代に、父親が監督を務める「園和北フレンズ」で野球を始めました。
中学校は豊中市立豊中第五中ですが、部活ではなく「枚方ボーイズ」で腕を磨いています。
父親の名前は、藤原史成(ふじわら・ふみあき)さん。
年齢は、今年(2018年)で42歳になります。
父・史成さんは豊中で「炉羽庵」という焼き鳥店を経営していましたが、現在は閉店しているようです。
◆母親に捧げる感謝の手紙
藤原恭大選手の母親の名前は、道子さん。
年齢は、今年(2018年)で41歳になります。
藤原選手は2年生の10月、練習中に右膝を負傷します。
この時は母・道子さんが病院まで車で送迎してくれました。
開幕直前まで5ヶ月もの間、足を使った練習から外れたましが、道子さんは
“焦らないで。今できることをよく考えて”
と励ましてくれました。
◆まとめ
3年春のセンバツ開幕後の宿舎。
みんなで両親などに宛てた手紙を書いた時、藤原恭大選手は母親への感謝の言葉を綴りました。
“いつもありがとう。悔いなく、フルスイングします”
その決意通り、藤原選手は全力プレーでチーム引っ張り、大阪桐蔭は史上3校目の春2連覇を達成しています。
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